先日、オーストラリアの大学で学んでいる娘から「レーシック手術を受けようかどうか考えているけど、どう思うか?」という相談のメールがありました。彼女の視力はとても悪い訳ではないのですが、日常生活のために、夜にコンタクトレンズで目の形を矯正して、昼間は裸眼でいるということをしています。
親としては、どうしても手術のリスクについて考えてしまいます。ネット上で交わされているやり取りは、広告のようなものから、悪意のあるものまで様々で、ニュートラルな立場にたったものはなかなか見つかりません。確かに、人の意見というものに中立なんてことはほとんど無い訳ですから、どの情報を信じるかの意思決定も難しい話です。
そんな情報を一通り見た後、娘に電話をして、リスクについてどう判断すべきかを聞いたところ、「インターネットにやり取りがされている質の悪い情報は見ないようにしてる。それよりも医学的な研究や論文にアクセスして決めるようにするよ。」と大学生らしい答えが。すでに世界では様々な研究がされていて、英語でリサーチが出来れば意思決定をするための十分な情報は手に入ります。
このようなリサーチをするという姿勢が、英語というツールを普通に使える大学生たちの一般的なものであるとしたら、やはり英語はこのレベルまで出来た方がいいと思います。そして、1年でもいいので日本の若者には世界の大学というものを経験してほしいと思うのです。休学して留学をしに来ている学生たちが良く話してくれるのが、この英語の世界でリサーチの技術を学ぶことが面白いということです。
娘がどのような判断をするのかは分かりませんが、私の仕事はそのプロセスを確認して、判断を尊重することだと思っています。親の出番はだんだん少なくなってきました。それは、きっといい事なのでしょう。