幸せな風景

先日、久しぶりに週末の一泊旅行に、アデレードから車で1時間のVictor Harborという街に行ってきました。3年前、コロナの時にオーストラリア一周をしていた時にも一泊した街で、僕はあまり覚えていなかったのですが、着いてみて、記憶が蘇りました。アデレードの家族が夏に一泊旅行に出かけるのに、最も人気のある場所のひとつだと思います。きっと留学生たちの多くも、訪れたことがあるでしょう。



南に開けた海なので、ずーっと先は南極があり、水は少し冷たく、でもとても澄んでいて、海の青さがとても印象的でした。ちょうど、その週末は広場で音楽のイベントが開催されていました。でも有名なミュージシャンが来るとかではなく、地元のミュージシャンが一人40分くらい演奏をするというもので、みんな芝生でリラックスして、ホットドックを食べたりして、ゆるーい時間を過ごしていました。

僕たちも車からピクニットシートを出して半分昼寝しながら聴いていました。一人目はジョン・メレンキャンプのカバーをしていた、きっと僕よりも年上なおじいちゃん。でも気合いは80年代のまま、ロックを気持ちよく歌ってました。次はテイラースイフトなどのアコースティックな曲たちをカバーしていた、今どきの女の子。似たような服を着た友だちが応援に来ていました。最後は、またおじちゃんたちが登場して、ブルーグラス音楽を披露しました。まるで、ここはディズニーランド?みたいな雰囲気でした。つまり、3組のミュージシャンたちは全く違うジャンルの音楽を奏でていったのですが、お客さんたちは気にしないで地元の有名人?たちを応援していました。NHKのど自慢を思い出して、なんかほんわかしました。

個人の幸せはいろいろなタイプやパターンがあると思いますが、コミュニティの幸せってこんな感じだよなあと、素敵な風景を眺めていました。

オーストラリアで一番長い川

今週はMurray Bridgeというアデレードから東に車で1時間くらい走った場所に滞在しています。Bridgeという名前でも分かるように、川が町の中心を流れています。その川の名前がMurray Riverと言って、オーストラリアで一番長い川です。


世界で一番長いのはナイル川、日本で一番長い川は信濃川、と多くの日本人はクイズ番組に出ても、簡単に答えられると思いますが、オーストラリアで一番長い川なんて、この国に10年以上住んでますが、意識したことさえありませんでした。調べてみると、このマレー川はニューサウスウェールズ州にあるオーストラリアで一番高い山のコジオスコ山周辺の降雪地帯をスタートして、ビクトリア州、南オーストラリア州のアデレード近郊まで約2500キロ流れています。2500キロって、日本だと札幌ー鹿児島間くらいなので、想像がつかないですね。




今回、いくつかの場所で、川を眺めていたのですが、洪水がそれなりの頻度で起きるのに、何も工事をしないで、そのまま放置している感じが、違和感というか不思議な感じがしました。日本だと、歴史を通じて治水は大きなテーマであったはずで、今では、自然のままの川って、考えてみたらあまり見る機会はありません。どちらが良いとか悪いとかという話ではなく、自然をコントロールするということについて、(もちろん、それだけの予算が捻出できないのが一つの理由でしょうけど)オーストラリアの地方の人たちと日本人の考え方は、ずいぶんと違うのだろうなあと感じました。洪水が起きたら、早く逃げて、そのあとはコミュニティーが団結してまた頑張る、というのがここの人たちの歴史なんだなというのが、新年に洪水の被害を受けた復興途中の街を歩きながら、考えたことでした。

洞窟に住む街

今週は南オーストラリア州のCoober Pedyという街に2泊3日で滞在しました。この街は約150年前からオパールの採掘で有名になり白人たちが住み出した街です。アデレードからは850キロ離れたアウトバックの何もない街での生活は過酷なものだったに違いありません。そして、その過程で、斜面に穴を掘ってそこに人々は家を作りました。周りには家の材料になりそうな木は生えてないし、そこにいたのは、穴を掘るのが上手い人たちと、穴を掘る道具だったので、その発想は自然と言えば自然な流れだったのでしょう。




オパールの採掘は、まずは垂直に穴を20メートルくらい掘って、そこから横に掘り進めながら、オパールの地層を探します。実際に訪れる前は地下深く潜ったところに部屋があるのかと思っていたのですが、そうではなく家は洞窟のような形状をしていました。(考えてみれば当然です。雨だって時々は降るんだし。でも、横井庄一さんの家の豪華版みたいなイメージを持っていたのは、なぜなんでしょう。)そのような家は宿泊施設などになったり、いまだに普通に人が住んでいます。もちろん、最近はエアコンが完備された普通の家も数多く建っています。



今回私たちが泊まった洞窟の家の中は、一年を通じて24度くらいに保たれていて、真夏の50度の世界でも冬の10度の世界でも、室内は快適だそうです。実際、到着した時は屋外は38度だったのですが、家の中はひんやりとして、とても過ごしやすかったです。そして、思っていたよりも随分と広かったです。長距離ドライブが苦にならない人は、2泊くらいの予定で体験してみてください。オパール博物館とか、地下の教会とか、近くのナショナルパークで壮大な景色を見るとか、楽しむことができます。




さて、Coober Pedyでは今でもオパールの採掘は可能で、個人で登録して(登録料は1万円くらいの世界だそうです。)許可を得て、掘る場所を決めて、チャレンジすればいいだけの話のようです。3人くらいのチームで行うことが多く、それは会社ではなく個人でみんな一攫千金を狙うそうです。オパールの地層を発見してそれなりのオパールを得ることが出来たら、数年は働かなくてもいい感じみたいです。(つまりは何千万円か、儲かるということでしょうね。)



僕にはそんな勇気はないけど、そういう世界にロマンみたいなものを感じる人っているのでしょうね。現在も採掘をしている現場がいくつもあったし、マッチョな感じの男の人たちが乗っているトラックに何度かすれ違いました。なぜか思い出したのは、高校生の時に観たスターウォーズの砂漠の街です。晩御飯は2泊とも洞窟の家のダイニングで食べましたが、こんな街の酒場に出かけたら、かなりディープな世界を体験できそうです。

最近は「出稼ぎワーホリ」なんて言葉もあるそうですから、こんなところに日本人がやってくる日も来るのかもしれませんね。

人気が出ない方が街は素敵

オーストラリアに戻ってきてすでに2週間が経とうとしています。先週末は南オーストラリア州のアデレードの郊外に滞在していました。私たちは、週末にはまずはその街の近くでファーマーズ・マーケットが開催されているかをチェックします。今回は、Willungaという街のマーケットを覗いてみました。

この街のマーケットは毎週土曜日の午前中に開催されていて、南オーストラリア州では最初にできたファーマーズ・マーケットだそうです。土曜日の午前中を家族でのんびり過ごすためのイベントとして、近隣の人たちの日課になっている感じです。また、メンバーとして登録すると、それぞれのお店で割引がもらえて、お客様を囲い込む仕組みもしっかりとしていました。




この街はマクラーレン・ベールというワイナリーでも有名な街のすぐ近くにあるのですが、街並みもその有名な街に比べてずっと可愛くて、おしゃれなカフェや地元密着型の生協などもあり、僕だったらこちらの街に住みたい感じです。大きな街になると、ファーストフードチェーンも進出したりして、みんな似たような雰囲気になってしまいます。




僕が、いくら褒めたり紹介しても、オーストラリアの小さな素敵な街にとっては、何も変わらないでしょうし、有名にならずにずっと変わらないでいてほしいと思います。そして、そんな街に出会えるので、この旅は止められないのだと思います。オーストラリアの素敵な小さな街情報があったら教えてくださいね。

さよなら、タスマニア

今は、タスマニアからメルボルンに戻る船の上でこの文章を書いています。昨年の11月2日に同じ船に乗ってメルボルンからタスマニアに渡って、2ヶ月ちょっとタスマニアに滞在をしていました。ローンセストンやホバートなどにいたときも、街から30分くらいは離れた郊外の家を借りていたので、この2ヶ月、ほぼ自然の中、山の中で過ごした感じです。

前にも書きましたが、タスマニアには日本からの留学生はすごく少なく、私たちも含めて、積極的にタスマニアを紹介している留学会社もありません。オーストラリアというと温暖で晴天が続いているという印象があるので、そのイメージから外れるタスマニアの気候は敬遠されてきたのかもしれません。でも、カナダよりも暖かいし、ニュージーランドとはほぼ同じ気温なので、暑いのが嫌いな人には過ごしやすい場所なのです。


ですから、自然や動物が好きな人は、ぜひタスマニアに留学してみてください。大学やTAFEはホバートとローンセストンにしかありませんが、その街から30分とか1時間も車で走れば、国立公園の保護された自然を満喫できます。毎週のように素敵な散歩ができると思います。

タスマニアでは、何人も都市から移住してきたオーストラリアの方にお会いしましたが、皆さん、シドニーやメルボルンやブリスベンなどの都会の生活から離れて良かったと話してくれました。都会のストレスフルな生活に疑問を感じて、オーストラリアで勉強しながら次の人生について考えようと思っているなら、オーストラリアの田舎で暮らしてみるのは、絶対に素敵な経験になると思いますよ。僕たちも、引退したらタスマニアに住んでみようかと真剣に話しています。

タスマニア第2の都市はとても素敵

先週はタスマニアの北側にある第2の都市、Launceston(ロンセストン)に滞在していました。人口は約8万人、タスマニアの北側の商業の中心として1800年台から発展して、今でもその当時の建物が大切に残されています。街を歩いていると、ヨーロッパ的な雰囲気を楽しむことができます。




僕の今回の旅のテーマのひとつは、オーストラリアの中での新しい留学先を開拓するということなのですが、このLauncestonは日本人にはほぼ知られていない街だと思います。タスマニア大学とタスマニアTAFEのキャンパスがありますが、日本人の留学生は、いたとしても数名ではないかと思います。もちろん、街で日本人らしき人に会うことはありませんでした。



でも、街には素敵なカフェはあるし、土曜に開催されるマーケットは楽しいし、大きな公園が街の中にいくつもあって、タスマニアの自然あふれる四季を楽しむことができそうです。特にタスマニア大学が新しくキャンパスを建築しているエリアは、博物館などもあり、この街の文化の中心として発展していく予感がしました。また、人々も田舎の素朴さが感じられる人たちが多く、すぐに友達も増えていくでしょう。





よくあるお問い合わせの内容の一つに、日本人が少なく、現地の学生たちと交流ができる街に留学したいというものがありますが、そんな方にはすごくおすすめの留学先になると思います。落ち着いた環境で、勉強に集中したり、自然の中で時間を過ごしたい方は、チャレンジしてみてください。街の中でも知られた日本人になれると思います。

タスマニアに到着しました

2週間前にサンシャインコーストを出発して、ゴールドコーストなどの海沿いの街を南下して、4日間でメルボルンに到着し、メルボルンで仕事とテニスの試合に出るために1週間弱を過ごして、一昨日にタスマニアに到着しました。これからが本当の旅の始まりという感じです。


タスマニアには2018年に旅をした時と同じく、フェリーで移動しました。メルボルンの近くのジーロングという街から夕方に船に乗り、早朝にデボンポートという港町に到着します。ほぼ12時間の船の旅です。ここ数日は、Lulworthという買い物をする場所もカフェもご飯を食べるところもない海辺の街のコテージに滞在しています。隣の家とは100メートルくらいは離れているので、人が住んでいる気配は感じても、話すことはありません。



早起きをして日の出や海を眺めたり、近くを散歩してワラビーに出会ったりしています。こんな環境でも、十分な速さのネットが繋がるので、ブリスベンの大学のスタッフとオンラインの会議をしたり、お客様と話したりして、仕事も出来ています。もう、場所とか距離というものは、ほとんどビジネスには関係なくなっているのだと思います。


この数年の社会の大きな変化は、人々が密集して住んでいる都市というもののリスクだと思います。ウイルスの感染がすぐに拡大したり、人々が密集しているというだけで事故になったり。

ですから、のんびりした田舎で、ネット環境を活用しながら自分のペースで働きたい若者たちは増えていくでしょうし、そんな場所で生活の基盤を作っていくというのは、必要なスキルの一つになっていくのかもしれません。留学をする場所においても、シドニーやメルボルンなどの大都市も相変わらずの人気ですが、最近は、都市ではない場所をあえて選ぶ人たちも増えてきています。

そんな田舎の留学先として、タスマニアはとても魅力的です。都会の刺激よりも田舎の自然の中で過ごすのが好きな若者たちには、ホバートやローンセストンというタスマニア大学のキャンパスやTAFEのキャンパスがある街が選択肢になっていって欲しいです。

旅が始まりました

昨日、サンシャインコーストのアパートを引き払って、車の旅がスタートしました。2年前にもオーストラリア一周の車の旅を始めて、昨年の今頃にサンシャインコーストに戻ってきて、1年間は落ち着いた生活をしたのですが、また旅の生活に戻りたくなってしまいました。

今回は、特に大きな目標もなく、日本の若者たちが留学に来てみたら面白そうなオーストラリアの小さな街を探してみたり、留学中のお客様に会ってみたり、学校関係者とじっくり話してみたりしながら、充実した時間を過ごしていきたいと思います。こうやって、車に荷物を乗せて、ノマドな生活ができるのも体力的にはあと5年とか10年くらいなのではないかと思うので、運転に気をつけながら、素敵な場所を巡っていくつもりです。


今日は、ゴールドコーストとバイロンベイの中間にあるPottsville(ポッツビル)という街で待ち合わせをして、アデレードのTAFEと南オーストラリア大学で、コンピュータグラフィックスやビジュアルエフェクトを学んだちはるさんと、ブランチをしました。彼女は、バイロンベイの近くの街で映像制作の会社に勤めています。経験を積んでいけば、就職先や携わるプロジェクトの可能性もどんどん広がっていく業界なので、将来にやってみたい仕事の話などを聞くことができました。

すでに社会に出たお客様たちの現在の仕事や未来の夢を聞くのは、学生時代に聞くよりもよりリアリティーや戦略性があり、とても面白く刺激的です。もちろん、日々の仕事は大変でストレスも多いのでしょうが、自分のやりたい仕事に邁進している若者たちと会うことが、僕にとっては一番充実した時間の過ごし方なんだなと実感しました。これから、さまざまな場所に出没したいので、ぜひ、留学生の皆さん、元留学生の皆さん、時間を作って、会ってくださいね。

旅の生活に戻るのは

ほぼ1年間の旅の生活を終えて、またサンシャインコーストに戻ってきました。引っ越しから3日が経過しましたが、前に住んでいた同じアパートの違う部屋なので、1年前とほぼ同じ生活に戻った感じです。朝は海まで歩いていけるし、同じカフェに行けるし、同じテニスクラブに通うことも可能です。


旅の後半、西オーストラリア州やノーザンテリトリーのアウトバック(オーストラリアの荒野)をひたすらドライブしていた時には、早くサンシャインコーストに戻ってのんびりしたいなあと思っていたのですが、戻ってみると、どうしたわけかあまり落ち着きません。1週間ごとに小さな街に移動してAirbnbに泊まってシンプルかつ刺激的な生活をするのに慣れてしまったのかもしれません。倉庫にしまっていた荷物が部屋に転がっていて、まだ片付けが済んでいないからイライラしているからかもしれません。

どうも、この1年間の旅人生活は、僕の中の普通の生活を変化させてしまったようです。いつも身軽にシンプルに、かつコミュニティにはそれなりに入って、出会った人とはちょっとした会話を楽しむというライフスタイルは、外国人として暮らしている今の僕にとっては心地良かったみたいです。そして、そんな生活はこんな年齢になっても刺激的で、新しい考え方やアイデアに導いてくれます。

1年間、あるいは数年間、今までとは全く違う生活を送ることができる海外留学というのは、それを経験することで、日本での常識みたいなものから少しだけ自立をさせてくれると思います。少なくとも、世の中には色々な考え方や、想像できない人生を歩んできた人々がいるのだということを若いうちにしっかりと経験しておくことで、さらに先が見えなくなるであろうこれからの時代をたくましく、かつしなやかに生きていく術が身につくのだと思います。

僕はこれから数年は、事業の回復(いよいよ来年からは国境が開きます)とテニスに集中して、また5年後くらいに旅の生活に戻ろうと思っています。

3億年前からの風景

今回の旅は、ほぼ終わっていますが(サンシャインコーストで新しい家に落ち着くのは10月末なので、それまではこの辺りのいくつかのAirbnbに滞在する予定です。)、これから時々、印象に残った場所についてのブログも書いていきたいと思います。

まずは、7月に訪れた西オーストラリア州北部のバングルバングル。
25年前、初めてオーストラリアに映像制作の仕事の関係で訪れたときに、セスナ機をチャーターして空からこの場所を眺めました。オーストラリアのアウトバックの写真集で見たことのある印象的な縞模様の丘たちを、ただ面白い風景の一つとして空から眺めたことを覚えています。




そして、今回は、何時間も悪路を運転してやってきて、あの景色を下から見上げています。この景色のもとが出来たのは3億年以上前のことだそうです。実際にこんな地形が出来上がる前に、これだけの地層の堆積があったわけですから、さらにその前の何億年かをかけて準備がされていたのです。地面に立って見上げた時に、最初に感じたのは、その3億年の歴史が一望に見渡せる圧倒感でした。今、見ている風景と似たような景色が3億年前にもあったというのは、火山活動や地震や多くの雨による浸食でどんどん地形が変わっている日本で育った僕には、それだけで不思議な感じがするのです。


きっと何万年か前には、先住民のアボリジニの人々も、同じようにこの景色を眺め、物語を紡ぎ、それを繋いでいったのだということが、容易に想像できる気がしました。それほど、周りの景色とは全然違う世界が広がっているのです。きっと、僕は、もうあそこに立って風景を眺めることは無いと思いますが、留学生の皆さんは、もし時間が許すのであれば、バングルバングルの中を歩いてみてください。地層1センチ分にも満たない僕たちの人生を大切にしなくてはと大地が語りかけてくると思います。