40年前の地学の知識

この週末で山の生活も終わり、来週からは海に近いエリアに移動します。

今週滞在していたのは、Stawellという、グランピアンズ国立公園の近くの街。少し、取り残された感じが否めない街でした。大きなスーパーマーケットもあったので、買い物には困りませんでしたが、美味しいコーヒーを飲みにカフェに行くということは残念ながらありませんでした。


今週も山登りを何回かしたのですが、これまで訪れていた山たちは花崗岩で出来た山というか大きな岩でした。花崗岩なんて懐かしい響きですが、中学とか高校の時に地学で習った、マグマが地中深くで冷えて固まった岩たちです。

ところが、今週訪れたグランピアンズ国立公園の山たちは、砂岩で出来ているので、全く違った印象でした。砂岩で出来た山ということは、堆積した地層が地殻変動で隆起しているので、地層に表情があるというか、不思議感が漂っています。


歩いていても、全く違った感触で、砂岩は乾いていると摩擦が大きいので滑りにくく、かつ侵食されて変な格好の岩が多いので、靴底が硬いゴムでないと歩きにくいのです。花崗岩の上は滑りやすいので、ゴムが硬すぎると怖いなと思っていたのですが、今週はこの靴で良かったという感じです。



こんな、地学超初心者的な気づきも、自分で歩いたり、触ったりしないと分からなかったわけで、40年前の共通一次試験のためにひたすら暗記した知識と本当の意味での知識が繋がった感じでした。

留学や旅に限らず、新しい世界に出かけていくことは、それまでただ積んでいた知識を自分の体験として深く掘り下げるいい機会になると思います。ですから、ネットに流れてるノウハウばかりを読んでないで、コロナウイルスには気をつけながら、新しい場所に出かけてみてください。

旅すれば都

今週は、ロックダウンのおかげでスケジュールが崩れましたが、僕たちの旅のスケジュールは、土曜日か日曜日に移動をして、平日は同じ場所に滞在をするというパターンです。


目的地の決め方は適当で、大体300キロくらい離れた街で、良さそうなところがあれば、そこでAirbnbで「まるごと貸切」という物件を探しています。同じ場所に普通に暮らしているのと同じくらいの予算でまかないたいので必然的に質素な小屋みたいな場所に滞在しています。キッチンのオーブンが壊れていたり、虫が部屋の中を歩いていたりすることもありますが、けっこう快適に過ごせています。


ですから、その街のことや、過ごし方は、実際に街に着いてから考えることが多いです。よほど小さな街でなければ、オーガニックの野菜を買うところはあるし、けっこうおしゃれなカフェはあるし、素敵な散歩ができる自然や、テニスクラブだって探すことができます。オーストラリアの地方の街のクオリティーは日本に比べても高いと思います。留学前にその街の情報を詳細に知りたいという若者たちがいますが、治安のことだけ気をつけてくれれば、(オーストラリアは日本と同じレベルの治安の良さです。)あとは、スーパーマーケットでお米がいくらか?みたいなことは気にしないで大丈夫だと思います。それを調べている時間があったら、英単語をもっと覚えたり、大学の勉強に関連する本でも読んでいてください。


今日はBendigoという、人口12万人くらいのビクトリア州第四の街、に滞在しているのですが、いい生活をするための装置は揃っている感じです。ここにはラトローブ大学のBendigo Campusがあったり、TAFEもあったりします。しかし、日本での知名度はほとんどないので、日本人留学生はすごく少ないと思います。こんな場所で有名な日本人になることを目指してみるのも面白いし、かけがえのない経験になるかもしれませんよ。

ありのままの観光業

先週から、ニューサウスウエールズ州からビクトリア州に移って、メルボルンから車で4時間くらいのBrightと言う街に滞在しています。この街を紹介する写真には、よく紅葉した街路樹などが使われているので、きっと秋に来るのがいいのでしょうが、真夏の今も避暑地としてとても過ごしやすいです。



毎月の各スタッフとの報告会が、先週の後半にあったので、日曜日、月曜日、火曜日に近くの山の中を歩いてきました。そして、金曜日からビクトリア州全域がいきなりロックダウンになってしまい、新しい場所に移動できなくなり、今週も木曜日までは、この街に滞在する予定です。それまでに、感染が収まることを祈っています。こんな感じでオーストラリアは数日のロックダウンで、まずは感染地区を広げないことをやるようになっています。

さて、今回も自然散策の話になります。Mount Buffaloと言う山の周りをいくつか歩いたのですが、その中で面白かったのが、1910年に建てられたという山小屋。今は増築・改築がされていますが、最初は小さな小屋だったそうです。メルボルンからほぼ1日かけて(あるいは2日かけて)馬車などで山のふもとまでやってきて、山の中腹にあるこの小屋までわざわざやってきていたと言うのが驚きです。



つまり、その当時から自然を楽しむための、山登りとか観光と言うものが、すでに存在していて、都会の人たちをもてなし、案内をするガイドもいたようです。日本人も昔から観光というものはあったでしょうが、湯治であったり、参拝や修行など、自然を楽しむというよりは、もっと明確な目的があった感じがします。



そのあたりの考え方が、日本とオーストラリアの観光業での違いに表れていると思います。オーストラリアでは、ありのままの自然を楽しむことが目的なので、オーストラリアの国立公園は、最低限の整備しかされていません。宿泊施設なんて、キャンプ場ばかりだし。


でも、そんな開発をしない観光学や、エコツーリズムなどの学問をオーストラリアで学ぶのも、将来、予算が少なくなるであろう日本の観光業には役に立つかもしれませんよ。

オーストラリアで一番高い山

今週はニューサウスウェールズ州のJindabyneという街に滞在していました。湖の辺りの小さなリゾート地です。近隣のスキー場に行くための拠点なので、夏には観光客も少なく、のんびりした雰囲気でした。



この街から車で30分くらいの場所に、Mount Kosciuszko(コジウスコ)というオーストラリア大陸で一番高い山があります。日本では富士山に登ったこともないし、登山が趣味ということでもないのですが、今回は奥さんに誘われるまま登ってきました。登ってきたといっても、半分くらいまではスキーのリフトに乗っていけるので、それ以降はなだらかで整備された散歩道を2時間ほど歩くと着いてしまうと言う、ハードな山登りが趣味の方々には怒られてしまいそうな楽な行程でした。




でも、だからこそ、ゆっくりと周りの景色を眺めることもできたし、本当に美味しい空気を味わうことができたので、記憶に残る一日になりました。さらに、この日の記憶に残ったのは頂上付近にいたワタリガラス(Little Raven)たち。世界の伝説に登場するワタリガラスたちと同じように、とても頭が良さそうで、群れで虫たちを追っているのか、不思議な動きをしていました。それらを眺めているだけでも、先住民たちが怖れた神聖さを感じることができました。




大陸最高峰といっても、この緩やかな時間の流れや、頑張らなくても登頂出来てしまうところが、とてもオーストラリアらしいので、留学生たちで、興味のある人はぜひ訪ねてみてくださいね。

留学する街の環境

今週はオーストラリアの首都であるキャンベラにいます。この街は首都なのにもかかわらず、40万人くらいの人口しかありません。シドニーやメルボルンの10分の1の規模です。東京圏と比べたら100分の1くらいかもしれません。中心地を離れるともういきなり田舎な風景が広がります。



この街には政治的な機能と、研究機関などが集まっているだけなので、大きな産業があるわけでもなく、都市特有の様々なところから人々がやって来て膨張していく感じもありません。40万人の人口が少しずつは増えるかもしれませんが、将来に100万人の都市になることはないと思います。

ですから、都市としての面白さ、例えば、躍動感とかなんかちょっと怪しい感じの飲食店が集まっているみたいなところはキャンベラにはありません。行政で働く公務員の人たちが多い真面目な街です。(みんな、ちゃんと車は制限速度で走ってる感じです。)そんな街、つまらなそうと思う人も多いかもしれません。


でも、文化的な施設はとても充実していて、国立の博物館や科学館や図書館や美術館や植物園は、ほぼ無料で楽しめるし、いろいろなことを考える刺激を与えてくれる時間を提供してくれます。カフェやレストランも本屋さんもおしゃれで落ち着いた感じの店が多い気がします。僕は年齢のせいかもしれませんが、この街は居心地が良いです。



長くても数年の留学という限られた時間を、どのような環境で過ごしたいか?勉強だけでなく生活を楽しむことに軸を置くのか、ストレスの少ない環境で勉強に集中することに軸を置くのか?もし、勉強に軸を置くのであれば、キャンベラでの留学はありだと思います。でも、僕たちの会社は、キャンベラの大学と契約していないので(オーストラリア国立大学とキャンベラ大学)この旅が終わったら、再度訪れて、大学のマーケティング担当者と話をしてみたいと思います。

野生動物を保護する家族

今週はシドニーから約200キロ内陸に入ったBathurst(バサストみたいに発音します)という街の郊外に滞在しています。


Bathurstは1800年代初頭にオーストラリアで初めて内陸に作られた街として有名で、1850年代以降は、近隣で発見された金の集積場所として、ゴールドラッシュに沸いた街です。街並みを見ても、歴史を感じる頑丈な作りの建物と広々とした道路、美しい公園や多くのパブなど、一攫千金を狙った人たちが押し寄せていた姿が思い浮かびます。



そして、泊まっている場所は、野生動物(どちらかというと小動物)の保護活動をしている家族が経営するAirbnbのコテージです。朝と夕にやってくるワラビー、美しい夕日が眺められるベランダや、清潔で快適な部屋、どういう訳かやたらと速いモバイルのインターネット。はっきり言って、ずーっと住んでいられそうです。




この家族は、オーストラリア特有の有袋類の小動物を、狐などから守るためにフェンスで囲った広い場所を作って保護しています。同じ有袋類でもカンガルーやワラビーは大きいし逃げ足も速いので、外敵には強いのですが、ネズミくらいの小さな有袋類はどんどんその住処が狭まっているそうです。このフェンスは、寄付を募って昨年の9月に出来たばかりだそうです。この他に、オーストラリアの野生の犬であるディンゴもつがいで保護しています。


フェンスの中の小動物を彼らの活動する夜の時間に、そのオーナーと見学をしたときに話をしたのですが、こんな場所は小さい時からの夢だったそうです。少年時代から動物が好きで、動物を保護する仕事をしてきて、ついに自分のプロジェクトを家族と一緒にやれることになったと話してくれました。きっとここまでくるのに、多くの苦労をしているでしょうが、豊富な知識と、あふれる愛情で、乗り切ってきたのだと思います。今後も彼らのプロジェクトが安定して発展することが楽しみです。


サンシャインコースト大学にはAnimal Ecologyという学科があり、動物たちを愛する多くの日本人の留学生たちが勉強しているのですが、彼らのうち何人かは、将来こんな場所を作るのかなと想像して、素敵な気持ちになりました。

滞在先のサイトはこちらです。シドニーに留学している方は、お休みのときにでも訪ねてみてくださいね。

ニューカッスルの未来

今週はニューサウスウエールズ州のニューカッスルに滞在しています。シドニーに次ぐニューサウスウエールズ州第2の都市、かつては石炭の積み出し港として栄えた町です。人口は30万人。シドニーから北に電車で2時間半くらいで到着します。


僕が旅をしながら考えるのは、この街に住みたいと思うか?あるいはこの街に支店を出すことは可能か?ということです。

まずは住みたいかどうかですが、1週間の滞在で判断をするのも難しいのですが、僕が20代、30代くらいだったら、この街はすごく面白いと思いました。なぜ50代では難しいかというと、僕にはもっと静かさが必要だからです。都市というものにほとんど興味がなくなってしまったからかもしれません。でも、この街は留学に来たり、自分でビジネスを進めていきたい人にはちょうどいいサイズであったり、雰囲気であったりすると思います。一度栄えた街が、リセットされて、シドニーという大都市と良い距離感を保ちながら自分たちの街の色を出していこうという人々が住んでいる感じがしました。


そんな魅力的な街ですが、支店を出せるほどの市場を作れるかは悩むところです。留学先としてはニューカッスル大学とTAFE(公立の専門学校)だけなので、留学生たちが常に数十人いることはなさそうです。私立の良質な語学学校などが出来ると、一気に人気の出る街になると思いますが、なかなかその勇気のある語学学校は少ないでしょうね。


コロナウイルスの時代が終わって、世の中が少し落ち着いてきたら(いったいいつになったらそんな日が来るのかわかりませんが)シドニーのスタッフと一緒に、またこの街にやって来たいと思います。5年後には、オーストラリア留学の隠れた人気都市になる気がしています。

オーストラリアのニューイングランド

今週はニューサウスウエールズ州のユララ(Uralla)という街に暮らしていました。隣町はオーストラリアで一番古い地方大学のニューイングランド大学のあるアーミデール(Armidale)で、この一帯はニューイングランドと呼ばれています。


僕が30年前に留学したのがアメリカのマサチューセッツ州だったので、この「ニューイングランド」という響きには親しみが湧くので、滞在してみました。このエリアは標高が約1000メートルと、平たい大陸のオーストラリアの中でも珍しく高いところにある台地です。おかげで、現在真夏のオーストラリアですが、最高気温が20度程度で避暑地としてはすごく過ごしやすいところです。冬には霜や雪も降ることがあるそうなので、冬は寒くなくちゃという人にはもってこいの留学先です。紅葉も綺麗だそうですよ。


名前からも分かるように、この場所を最初に開拓したのがイギリス人たちで、それまでは、多くのアボリジニの方々が住んでいたので、壁画のようなものも残されています。つまりは、200年前には人工的なものは何もなく、単なるユーカリを中心とした森林だったのが、今は風景も街並みも「ニューイングランド」らしいものに変わっているのです。



そんなことを考えながら、もやもやしていると、先住民も開拓民も触ることができなかった峡谷や滝の荘厳さに圧倒されました。自然の中が心地よいのは、人間の歴史を忘れることができるから、なのかもしれませんね。

牛だって好奇心

丑年のスタートを、奇しくも牛の牧場で切ることになり、オーストラリアの元旦は初詣もレストランも開いている店もないので、ベランダから時々牛たちを眺めていました。


この牧場に飼われている?放牧されている?のは、30頭くらいなので、観察しているといろいろ気づくことが出てきます。子牛は5頭くらいいるのですが、兄弟なのか同級生なのか分かりませんが、仲良しでよく飛び跳ねて遊んでいます。でも1頭の黒毛の子牛は、ちょっと仲間外れにされていて、(ちょっと小さいので他の子牛たちが小学校3年生なら、この黒毛くんは幼稚園生という感じです。)かつ、寂しがり屋なのか、よくお母さんを探すために鳴いています。牛が鳴くのは子どもの方が多いようでした。

大人の牛たちはどうかというと、典型的な牛たちで、いつも草をゴリゴリ食べていて、それ以外に人生の目的や楽しみはないのか!と聞きたくなるくらい、草を食べ、太り、動きが遅くなり、しようがないから、また食べちゃう、みたいな子牛たちとは対照的な姿でした。

快適なゾーンでずーっと刺激もなく暮らしていると、こんな風になっちゃうよなあと、ちょっとせつなさを感じていました。


ところが、うちの奥さんが、柵に沿って散歩していたら、なんと、全ての牛たちが彼女めがけて集まってきたのです。餌はそこら中に生えているので、餌をもらいにきたわけではないし、人間が珍しいわけでもないでしょう。でも、彼らからすると、何かしらの好奇心をくすぐる状況があったのかもしれません。あるいは、普段があまりに退屈だったのかもしれません。

なあんだ、君たちも草を食べてるだけじゃ退屈なんだねと、昨年はコロナウイルスのおかげで、なんとなく縮こまっていた自分の今年の目標を「今まで以上に好奇心を持って、学んだり、無理しても動いてみる」ということにしようと思ったのでした。

リズモアで考えたこと

ニューサウスウエールズ州のリズモアは、サーフィンやヨガで有名なバイロンベイの約50キロ内陸にある、人口約3万人の街です。1800年代に林業の拠点として開拓され、その後、乳業の街として発展しました。オーストラリアのスーパーマーケットでも見かけるNorco 社のチーズ工場やアイスクリーム工場があります。



1954年にはイギリスのエリザベス女王がわざわざ訪問したくらい、オーストラリアにとっても重要な街だったことがわかります。しかし、その後は大きな発展もせず、観光はバイロンベイに取られ、そちらに資本も流れたので、リズモアはかつて栄えた街というイメージが漂っています。


その状況を克服して、新たな発展のために、1994年にサザンクロス大学を設立して若い人口を増やしています。そんな効果もあってか、街の商店街は60年代のなごりと新しい時代が混在しています。


お洒落なカフェがあったり、オーガニックな食材や商品を売っている店があったり、地元のアーティストを支援するためのギャラリーがあったりと、文化的にも面白い取り組みが行われているようです。




それでも、まだ多くの人たちは典型的なオーストラリアの田舎の人たちで、お洒落さにはほど遠いのですが、日本の田舎にも通じる雰囲気が逆に親しみを感じます。

かつて栄えた街が時代の流れに取り残された時に、どうしたらいいのかというのは、多くの日本の市町村において大きな問題だと思いますが、何かを加えて観光客を呼び込むための予算を獲得するのではなく、街を小さくしながらも生活する魅力を加えていく、新しい開発の考え方が必要になってきます。魅力的な街とネット環境があれば、都会から移り住んで来る人々は必ず増えていくと思います。ポストコロナの時代は尚更です。

僕は、このリズモアという街に楽しんで住むことができると思いますし、日本の若者たちで、将来、地元の活性化に貢献したい人は、こんな街に留学するのも、様々なアイデアを得るのに役に立ちますよ。