25歳のスタート

パースに住んでいる娘2人が揃って、サンシャインコーストに先週末から数日遊びに来て、帰っていきました。


この歳になると、僕が娘たちに何かを教えていくことはほとんどありません。僕が読んだ本や、観た映画や、興味の有る分野の話の中から、彼女たちの人生においてそれが良さそうであれば、彼女たちがそれを選択していくだけの話です。様々な分野の話をする中で、お互いに 「それって面白いよね、それって素敵だよね。」 みたいな会話になる時が、僕にとってはとても幸せなひとときです。

今回、あらためて気づいたのは、彼女たちと話をしていると、きっと僕の方が学ぶことが多いだろうということです。25歳と24歳の彼女たちの方が、僕よりも人生に対してずっと純粋に向き合っています。大学と大学院で興味の有る分野を学び、その学びを生かして社会に出たと言っても、彼女たちの人生は、まだまだ始まったばかりです。不安や焦りや夢や希望や未来や日常が、入り混じっています。そんな状況は海外に出ていきたいと真剣に考え出した僕自身の25歳の時と重なります。今でこそ、海外で会社を経営し、若者たちに海外に出ようとか言ってるおじさんですが、25歳の僕は何者でもなく、このままでいいのだろうかと焦りまくっていました。

娘たちとの会話や時間は、僕にあの頃の初心のような思いへ帰らせてくれて、その時から今までにお世話になり、導いてくれた多くの方々からの言葉を思い出させてくれるいいきっかけになりました。そう、25歳はみんな悩んでいます。そこから、何をスタートさせるかについて、僕たちが少しでも役に立てればと思うのです。

何やってんだよ、俺。

18歳の時、日常生活には何の支障もないのに、テニスをちゃんとしたいがために、肩の手術をしました。麻酔から覚めて腫れ上がった肩の痛みに耐えながら、眠れない、何も食べれない夜を過ごしながら「何やってんだよ、俺」とつぶやいたのを覚えています。しかし、その手術のおかげで55歳の今でも、元気にテニスができています。


47歳の時、潰れそうな会社を引き取って、金策に駆けずりまわったり、事業がよくわかってない人に頭下げたり、眠れない日々を何日も過ごしながら、何度となく「何やってんだよ、俺」とつぶやいていました。しかし、素晴らしい共同経営者に出会い、そこを乗り切ったおかげで、今は「オーストラリア留学」のNo1の会社として、成長する喜びを社員たちと分かち合っています。

何度か訪れる 「何やってんだよ、俺」 という時がなければ、僕の人生は本当に退屈だったのかもしれません。後戻りできないところから復活していくことがドラマだし、たった一度の人生なら、ドラマであって欲しいと思うのです。

55歳になっても、テニスの試合を2日間で9試合もやって、帰りの運転中に全身がつって、車を停めてのたうちまわっている時に「何やってんだよ、俺」と何度も叫んだりしていますが、これから60歳になり、70歳になっても、「何やってんだよ、俺」と言ってたいし、そんな状況を楽しみながら、最後まで突っ走っていきたいと思います。

おっさんでは住みにくい社会

今日は55歳の誕生日でした。

オーストラリアに住みだして6年が過ぎようとしています。これだけ離れていると、日本の学生時代の友人たちとも年に1回くらいしか会わないので、僕には日本の55歳がいったいどんな感じなのか想像ができません。まだ子育てが終わってなかったり、定年までの年数を考えたり、健康について考えたり、きっと20代の時に比べて一人一人がそれぞれ違う生き方や考え方をしているのだと思います。


それでも、自分の誕生日に「同世代はどうしてるんだろう?」とかって考えるのは、日本社会が「同い年」というものを常に意識させることに僕も慣れている証拠なんだと思います。中学や高校の時の部活などでの「自分たちの代」とか「先輩たちの代」とかいう考え方や、新卒一括採用での同期入社とその中での出世競争とかっていう世界は、オーストラリアではたぶん理解されない文化の違いです。

オーストラリアでは、年齢を聞かれることもないし、年齢が高い方が絶対的に偉いということもないので、年功序列で生きてきた日本の年寄りにとっては、もしかしたらタフな世界かもしれません。だからこそ、55歳の僕にとっては若い人々と仕事をしたり遊んだりするために、いつもチャレンジしていなくてはいけないのです。おっさんにならず、ちゃんとした大人でいなくてはいけないこの国での生活は修行みたいで、僕は結構気に入っています。

抜け出したいモチベーション

先日、週末にゴールドコーストでテニスの試合があったので、1泊する必要があり、プライベートだし、僕一人だし、小綺麗でリーズナブルなモーテルを予約しておきました。サンシャインコーストから約3時間のドライブをしてそのモーテルに着いたら、受付の人が、「あなたの部屋に昨晩泊まった年配の人が転んで怪我をして、動けないので、もう1泊することになったので、申し訳ないけど近くのモーテルに部屋を取ったから、そっちに行ってくれます?」ということで、もちろん僕は構わないですよと答え、3軒隣のモーテルに移動しました。


しかし、そこはどう見てもランクが2つくらい低く、隣の部屋の前ではタバコを吸っているおばさんが2人で大声で話してるし、部屋は薄暗いし、ハンガーは針金だし、、久々に犯罪の匂いもするような部屋に泊まることになりました。若い時には、お金がなくてそんな場所に泊まったことも何度かありましたが、その時の記憶が蘇りました。そんな時、「絶対、将来はこんなところに泊まらないで済むようにしよう!」みたいなことを考えていました。

人より金持ちになりたい、人より美味しいものを食べたいみたいなハングリー精神が、モチベーションにつながる時代は随分昔に終わった気がしますが、嫌な場所や耐えられない環境から抜け出したいという欲求はまだまだモチベーションにつながっていくのかもしれません。窮屈な社会や窮屈な環境から抜け出すためのきっかけをオーストラリアへの留学に求める人たちにも多く出会います。新しい環境で、どのように生活を始め、いい人間関係を構築していくかをアドバイスするのは、実際に現地でそれを経験してきた僕たちにしかできない仕事だと思っています。

人身事故な日常

約10日間の東京出張を終えて、オーストラリアに戻りました。

東京に出張すると必ず遭遇するのは地震と人身事故による電車の遅延です。


先日も夕ご飯を食べて中央線に乗っていたら、遅れてました。電車が止まって人身事故だというアナウンスがあっても多くの人はとても冷静で、自分が待ち合わせに遅れることをメールで伝え、我慢強く待っています。大学生か高校生くらいのグループは、「ありえない、遅れちゃうよ!」とか最初は文句を言ってましたが、そのあとはいつもの他愛のない話を楽しんでいました。

最近は人身事故があっても動き出すまでに15分とか20分くらいしか時間がかからないので、東京に住む人にとっては、起きることが可能性として組み込まれた日常の出来事なのです。ポイント故障も、誰かが線路にものを落としちゃうのも、人身事故も、先を急ぐ乗客にとっては電車が遅れる理由の一つであって、大差はないのだと思います。人がたぶん一人亡くなっているという想像力は意識的なのか無意識なのかわかりませんが封印してしまうのです。

そうやって、僕たちの命に対する感性はどんどん麻痺していきます。弱い人がいなくなっていくのはしようがない現実だという、強者が作った社会の雰囲気に流されないためにも、人身事故のアナウンスを聞いたら、そこで一人の命が終わったんだということを想像すべきなんだと思います。

プラン通りには絶対にいかない

留学の相談に来る若者の中で、すごく綿密に計画を立てようとする人がいます。徹底的に情報を集めないと安心できないタイプの人です。スーパーで野菜がいくらで売ってるかとか、ホームステイ先までは交通費がいくらで何分時間がかかるのか。。。こういう人って、ツアーガイドとかが天職になるのかもしれませんね。僕は今まで、旅行のツアーって使ったことがないので、自信を持ってはアドバイスできないけど。


ただ、自信を持って言えるのは、多くの情報を集めて、細かいプランは立てても時間の無駄だということです。

留学やワーキングホリデーが面白いのは、思わぬ出会いや出来事に心を揺らしながらも、自分らしく生きていく事だと思います。だから、3ヶ月で英語がペラペラになって、そのあと日本食レストランで4ヶ月働いたら、車を買ってファームに行って、その後は、、、などのプランを綿密に立てる事は、せっかくの思わぬ出来事に出会う機会を失うことにもつながりかねないのです。

プランを立てると、そのプランが達成されたかが、評価基準になり、それはすなわち予測可能な世界で生きるだけの話です。留学でも人生でも迷った時に、プランに頼るのではなく、直感に頼った方が僕はうまくいくと思ってます。だいたい、人生プラン通りですみたいな人と友達にはなりたくないですもんね。

美味しいカフェの見つけ方

オーストラリアは日本の人々が思っているより、カフェ文化が浸透しています。どの街に行っても素敵なカフェを探すことができ、そこで文章を書くのはとても充実した時間です。(実際この文章もパースのカフェで書いています。)

では、どうやって素敵なカフェを見つけたらいいのか。今日は僕がやっている方法をお教えします。しかし、これはあくまで僕のやり方なので、ぜひオーストラリアにいる人は違う方法があれば教えてくださいね。

僕はここ数ヶ月、豆乳(ソイミルク)を使ったソイラテあるいはソイフラットホワイトを頼むようにしています。それから気づいたのですが、ソイミルクというのは商品によってすごく味が違うので、どのソイミルクを使っているかはそのカフェの味に対するこだわりを測る上でとても参考になるのです。

オーストラリアで売られているソイミルクで圧倒的に美味しくて値段も高いのがボンソイという商品です。オーガニックストアやColesなどのスーパーマーケットでも買えるのですが、普通のソイミルクが1パック3ドルくらいなものがボンソイは5ドル程度します。つまり、ボンソイを使っているカフェは原価が高くても品質を上げることに気を使っている傾向があり、豆の焙煎や牛乳選びもしっかりとしているのではという仮説が成り立ち、今のところその仮説は当たっているような気がします。

ボンソイのサイトはこちら、そしてこのページでは、このボンソイを使っているカフェの検索が出来るので、カフェ選びに困った時は、このサイトを利用しています。そしてここで見つけたカフェはBeanhunterなどのカフェ検索アプリでも評価が高いカフェと一致するようです。

どんなビジネスでも、いい会社は大切なことにしっかりとこだわっていると思います。単に価格を比較するのではなく、そのこだわりのポイントを見極めることは、とても楽しい探検です。

TPPより地元のおじさん

最近、我が家では、有機栽培をしている地元の農家の野菜だけを扱っているお店の宅配サービスを利用して、ほとんどの野菜や果物を買っています。宅配サービスと言っても、配送業者が指定時間に届けてくれる洗練されたサービスではなく、お店のオーナーがダンボールの箱に詰めて、のこのこ自分の車で届けてくれるという、昔ながらのスタイルです。


実はこのお店、前は小さなオーガニックショップを構えていたのですが、昨年火事にあって、お店の再建ができず、宅配方式に変えたのです。この話を聞いた地元の人たちが多く申し込んでいるようで、うちのアパートにも何人か仲間がいるようです。
この店のオーナーは、サンシャインコースト大学で環境学を教えている講師で、このビジネスに加えて、様々な場所で講演などを行っています。地元の環境保護のリーダーの仲間の農家たちの作物なので、安心して食べられるし、味も濃くて美味しいのです。

誰もがすべてのビジネスは環境によくあるべきだと考えています。しかし、いざ消費者の立場になった時に、価格の安さよりも環境や社会にとっていい買い物ができているのか。なかなか難しい問題です。僕はTPPの行方よりも、この地元の頑張ってるオーガニックショップのおじさんの将来の方がずっと気がかりです。

素敵な成分

基本的にはスーパーマーケットには行かず、地元のオーガニックショップで買い物をするようにしています。少し値段が高くても、できるだけ地元のものを消費して、地元の経済に貢献したいからです。ただ、日用品は日本で言うところの「マツキヨ」みたいな格安の薬局などで買っていました。そういうところでもなんちゃってオーガニックみたいな商品はあるので、まあそれでもいいかって感じです。


先日、いつも行くオーガニックショップで何気に石鹸を見たら、成分に「rain water」と表記が。。「雨水」でできた石鹸なんて、何かとてもエコな感じでいいですよね。ということで1個4ドルのこの石鹸を買って試してみたら、少ない量でもすごく泡立ってとても良かったです。ラベンダーの香りと大自然の雨水の香りが混ざって、自然な空気感が漂います。(ウソです。雨水には香りなんてありません、たぶん。)


どこかの名水でできた香り麗しい石鹸か、雨水でできた素朴な石鹸、どちらを選ぶかは人それぞれだとは思いますが、僕は「雨水」をずーっと買い続けると思います。

留学は住んでみたい国に

留学って半年とか1年とか数年とか、ある期間一つの場所に住むことになるので、場所選びはとても重要だと思います。海外における、もう一つの故郷みたいなものができるわけで、その場所は人生を通じて大きな影響を与えます。


せっかくの経験なので、ぜひ住んでみたい国や街を選んでください。僕だったらライフスタイルが豊かな国という観点で選んでいくと思います。日本よりも、生活が豊かな国に行くことで、日本に帰ってきてからの生き方の目標やビジネスチャンスを見つけられる可能性が高いからです。お得感とか合理的な理由ではなく、こんな生活してみたい!とかこんな人生に憧れる!みたいな理由の方が印象にも残るし、好奇心やワクワク感もずーっと続くと思います。


そんな観点で、僕たちのスタッフブログやWEBサイトの記事を眺めてみると、まだまだオーストラリアのライフスタイルの良さを表現できていない気がします。お金をかけて行かなくてはいけない旅先や、おしゃれなレストランではなく、毎日のちょっとした素敵なことをもっと拾い上げていければと思います。今年も、弊社のサイトを楽しみにしていてください。