家を出るための留学

高校を卒業して大学を選ぶときに、一度は家を出る選択肢を考えた人もいるかと思います。特に地方の高校生にとっては、東京などの大都市の大学に通うことイコール家を出ることになり、大人になるための大きなステップです。最近はコロナウイルスの影響もあり、地元志向が強まっているそうですが、それでも18歳の若者たちの何割かにとって、親元から離れたいと考えるのは、健全で自然なことなんだと思います。


しかし、若者の人口のうち半分以上が大都市圏に住んでいる今の時代は、大学に進学したとしてもなかなか実家から独立できません。実家で暮らすことは、居心地の良さもありますが、経済的にあるいは精神的にそこから抜け出ることが出来なくなっていると言えるかもしれません。

そんな時、オーストラリアの大学たちは絶妙な距離感を与えてくれます。時差がないので連絡を取り合ったり、オンラインで話をするのは簡単です。でも物理的な距離は何千キロも離れているので、実際に会えるのは年に1回とか2回。たとえ休学しての1年間の留学でもいいので、実家としっかりと距離を取って、自分でなんでもやる生活の経験を積んでおくべきです。将来必ず役に立ちます。そして、そんな姿を見せていると、親たちも子どもたちに対して、リスペクトする気持ちが芽生えてきます。そして子どもたちも、実家で暮らしていたことの有り難さが身にしみて、親に対するリスペクトが生まれるのです。

お互いに認め合う状況が、親子の関係を次のステージに押し上げてくれるのだと思います。

3億年前からの風景

今回の旅は、ほぼ終わっていますが(サンシャインコーストで新しい家に落ち着くのは10月末なので、それまではこの辺りのいくつかのAirbnbに滞在する予定です。)、これから時々、印象に残った場所についてのブログも書いていきたいと思います。

まずは、7月に訪れた西オーストラリア州北部のバングルバングル。
25年前、初めてオーストラリアに映像制作の仕事の関係で訪れたときに、セスナ機をチャーターして空からこの場所を眺めました。オーストラリアのアウトバックの写真集で見たことのある印象的な縞模様の丘たちを、ただ面白い風景の一つとして空から眺めたことを覚えています。




そして、今回は、何時間も悪路を運転してやってきて、あの景色を下から見上げています。この景色のもとが出来たのは3億年以上前のことだそうです。実際にこんな地形が出来上がる前に、これだけの地層の堆積があったわけですから、さらにその前の何億年かをかけて準備がされていたのです。地面に立って見上げた時に、最初に感じたのは、その3億年の歴史が一望に見渡せる圧倒感でした。今、見ている風景と似たような景色が3億年前にもあったというのは、火山活動や地震や多くの雨による浸食でどんどん地形が変わっている日本で育った僕には、それだけで不思議な感じがするのです。


きっと何万年か前には、先住民のアボリジニの人々も、同じようにこの景色を眺め、物語を紡ぎ、それを繋いでいったのだということが、容易に想像できる気がしました。それほど、周りの景色とは全然違う世界が広がっているのです。きっと、僕は、もうあそこに立って風景を眺めることは無いと思いますが、留学生の皆さんは、もし時間が許すのであれば、バングルバングルの中を歩いてみてください。地層1センチ分にも満たない僕たちの人生を大切にしなくてはと大地が語りかけてくると思います。

市場規模と社員規模

マーケティングの授業では、最初に市場規模を分析して、その市場がどのくらいの成長率があって、その中で、どのくらいのシェアを獲得するのかを目標設定して、それに向けて戦略を立てることを学びます。その計画に多くの資料や情報や頭脳が使われ、成功する確率が高そうな事業計画が準備されます。それなのに、8割とか9割のビジネスは成功することなく、消えていきます。


市場規模は、多くの現実的な情報を基に計算されたとしても、最後に未来という変数をかけることで夢の数字や夢のシナリオを描く舞台になってしまいます。留学業界で言えば、子どもたちの数は減っていくのにもかかわらず、これからは海外で学ぶ若者が増えるから、市場は伸びていくのだ!みたいな考え方です。それは当事者以外の誰が見ても間違った考え方ですが、当事者たちは夢を見たがるのです。

僕は市場規模というものをほとんど考えません。これは中小企業でしかできない方法だとは思いますが、社員一人当たりの安定した売り上げがどのくらいかを考えて、その足し算で計画を考えます。掛け算的な発想は持たず、現実的な数字だけを見るようにしています。そうであれば、あまり計画が下振れすることはないので、こんな厳しい環境であってもストレスは少なくてすみます。

ポストコロナの時代では、失敗するのが怖くてビジネスを始めようとする若者が減ってしまう気がします。でもビジネスをちゃんと続けていけて、お客様が喜んでくれる状況を作ることは、少なくとも僕にとっては人生に大きな満足感を与えてくれています。ビジネスは簡単ではないけど、難しいことでもありません。ひたすら現実に向き合いながら、でも少し夢のある目標に向かって一歩一歩進んでいく、そんなプロセスが楽しめるのは、ビジネスを始める人の特権だと思います。これからもそんな若者たちと出会っていきたいなと思っています。

いちばん大切な社会貢献

僕は、毎朝、社員に向けてメッセージを書いているのですが、最近は僕からの一方通行ではなく、社員の方々に質問をしてその回答を共有したりしています。例えば「ポストコロナの時代におけるワーホリの意義ってなんだろう?」などの質問を投げかけるのです。社員がどのようなことを考えているか、どのくらい深く時代や社会について考えているかなど、僕にとっては大切な気づきだし、社員の中でも大きな学びになっていると思います。


先週の質問の一つに、僕たちの会社の業績がまた平常に戻って社会貢献のプロジェクトを再開するとしたら、どんな問題に取り組んだらいいだろう?ということを聞いてみたのですが、環境問題などよりも、日本社会の貧困問題であったり子どもたちの教育格差などの問題に意識が向いていることが分かりました。経済格差による不公平な状況をどう解決していくかは、あまりに問題が大きくて、国とかに責任を転嫁しがちですが、これを行政や政治家に期待すること自体が、ストレスの原因になりそうです。

多くの国民が経済的に安定するための方法って、シンプルに考えれば、いい会社が増えればいいのだと思います。自分が優秀だと思ったら、組織の中で出世することを考えずに、小さくてもいいから安定していて、社員を大事にする会社を経営することが一番の社会貢献です。例えば、10%の優秀な人がそれぞれ10人雇える会社を経営すれば、世の中、かなり幸せになると思うのです。

でも優秀な人たちは役人になったり、大企業に入ったりして、不毛な出世争いに時間と能力を使ってしまいがちです。その過程で、何人もクビにしたとしても、あまり胸を痛めることもなくなってしまいます。そうすると社会貢献とかに頭を悩ますよりも、いかに素敵なお金のかかった生活をしているかをSNSで自慢できるかに頭を悩ますようになるのです。

オーストラリアに留学してくる若者たちが、将来、自分の会社を作って社会にも社員にも貢献していくことを楽しみにしながら、アドバイスを続けていこうと思います。

1000位の壁

世界にはいくつか大学ランキングを発表している機関が3つほどあって、それぞれの観点で大学を評価してランキングをつけています。(University rankingで検索してみてください)昨日もTIMESというランキングが発表され、クイーンズランド大学からは8つもランキングが上がったとニュースが送られてきました。でも、ランキング50位と100位の違いって、そんなにないでしょうし、50位の大学を出たからって、100位の人よりも成功するかと言えば、そんなことも全く関係ないでしょう。


でも、世の中にはランキングの評価外の大学も数多くあるのです。どの世界ランキングも1000位とか1200位くらいまでしか発表されません。つまり1000位までに選ばれていない大学はアカデミック的には、世界ではあまり評価されていないということです。きっと、そんな大学の中でも、ある分野では優秀な教授は何人もいらっしゃるでしょうが、大学全体としては、ランク外なのです。

そして、オーストラリアの大学は43校中37〜38校くらいがランク内。日本の大学は750校くらいある中の50校くらいがランク内です。この結果から、すごく乱暴な議論をしてしまうと、オーストラリアの大学生のうち90%は世界レベルの教育を受けているのに対して、日本の大学生のうち7%しか世界的なレベルの教育を受けていないことになります。この状況で日本再生とかってどうするんでしょう。

ポストコロナの時代は、グローバルというキーワードはトーンダウンすると思います。それでも、日本という狭いフィールドで生きるのには窮屈な若者たちが、世界を目指すでしょう。そんな時に、世界的にしっかりと評価をされている教育を受けることが、重要なステップになると思います。

海外で働いたり暮らしたりすることに興味があって、高校時代に真面目に勉強した人たちには、オーストラリアの大学は大きく門戸を開けているので、(国境は来年まで閉まっていそうだけど。。)世界1000位までの大学にチャレンジしてみてくださいね。

海岸沿いの小さな街

今回の旅の目的地を決めるにあたって、「オーストラリアの魅力的な小さな街ベスト100」みたいなサイトはいくつか読んで検討をしました。そんな時に、いつも「クイーンズランド州の魅力的な小さなビーチタウン」と言うリストに出てきていたのが、今週滞在している「セブンティーンセブンティ(1770)」と言う街です。ジェームズ・クックがオーストラリア大陸に到着して海岸線を北上していく途中、滞在したことのある街として、その年号を街の名前にしてしまったという、考えてみたらけっこういい加減な(まあ、オーストラリアらしいといえばそうなんですが。)方法ですが、でも鎌倉幕府が始まった年を日本人みんなが忘れないように、この街の名前は、多くのオーストラリア人が覚えています。



街の公共機能は、隣のAgnes Waterと言う街にあり、1770にはキャラバンパークとホリデーハウス、そして実際に住んでいる人たちの家と2つか3つのカフェとレストランがあるだけです。



それでも、この街が魅力的なのは、最低限の開発しかされていないので、複雑な海岸線や眺めの良い丘やほとんど人のいないビーチが残されていることでしょう。でも、このコロナ禍で多くの人々が都市を離れて田舎に住み出しているようで、この街の不動産も高騰し、バイロンベイみたいに商業的にも発展するのではないかと、幾らかの人たちは期待しているそうです。



せっかくの自然の匂いが、都会っぽくなる前に、来年とか再来年の冬の時期にまた訪れてみたいと思います。

アートのつなぐもの

今週はGladstoneという港町に滞在しました。この街は、クイーンズランド州最大の産業製品の積み出し港で、石炭、アルミニウム、アンモニアなどの工場や精錬施設なども港に隣接して建設されています。オーストラリアの産業を支えている、でもおしゃれさには若干欠ける、あまり住みたいとは思わない街です。



とは言いながらも、近くのカフェに一度くらいは出掛けてみようと、滞在先のAirbnbから一番近いカフェを検索して行ってみました。どうみてもオフィスビルみたいな入口を開けてみると、ギャラリーの中にカフェが併設されていました。ギャラリーについても看板などはできていないので、たぶん、始まったばかりのプロジェクトなのでしょう。

バリスタをやっていた男性と話をしたら、数ヶ月前に10年近く住んだニューヨークから、コロナウイルスの混乱から逃げるために、ご両親の住むこの街に帰ってきて、お父さんのオフィスを改装して、ギャラリーとカフェを始めたとのこと。来週には、「鳥」をテーマにしたアートを集めて、展覧会をするので、ぜひ来てよ、みたいな話をしてくれました。


確かに、ニューヨーク(ブルックリンだそうです)の生活に慣れ親しんだ人にとって、このGladstoneという街はあまりに田舎すぎるので、アートを使ってコミュニティーを活性化させるというのは自然な発想なのかもしれません。(それにそのためのコストはあまりかからない)


僕たちがコーヒーやアート鑑賞を楽しんでいる間にも、来週の展覧会用の絵を持ってくる人がいたり、ファンの若者たちがコーヒーを買いに来たりしていて、ネットワークが広がっていることを感じました。どんな街にも、おしゃれな人や素敵な生活を目指している人たちは、隠れていても存在するわけで、そんな人たちを繋いでいくのはアートのイベントなのかもしれません。結局、このカフェには水曜日から今日まで3日間、通ってしまいました。

ヤプーン

Yeppoonという街に来ています。一度聞いたら忘れない名前のここはRockhamptonという大きな街の海側にある、リゾート地です。と言っても、ゴールドコーストやケアンズに比べると、ずいぶんと小さな街です。





写真にあるように、小さな半島がいくつもあって、眺めのいい場所に簡単に行くことができます。海は青いし、グレートバリアリーフの最南端に近いエリアなので、沖に出ると珊瑚礁の島もあったりして、シュノーケリングなども楽しめるようです。

今は、オーストラリアは冬ですが、この辺りの今週の最高気温は22度とか23度くらい。とても過ごしやすい気候です。オーストラリアの冬を過ごすには、このグレートバリアリーフのあたりが最高だと思います。そして、人気の観光地でもないので、オーストラリアの余裕のある人々の普通のライフスタイルを経験できるのは、人生の視野を広げるいい経験ができると思います。


日本の若者たちは、多くが都会に住んでいるので、都会のライフスタイルの楽しみ方は、すでに経験ずみだと思います。東京の生活もシドニーの生活も大きくは変わりません。(シドニーの方が自然も多くて、僕は好きだけど)ですから、オーストラリアに来てまで、都会にこだわる必要もないかもしれません。

ワーキングホリデーなどの自由な時間を使えるビザであれば、こんなYeppoonみたいな街に住んでみると、お金をあまり使わないで人生を楽しむ方法が身につくと思います。都会のレストランでお皿を洗って、一生懸命稼いだお金で、おしゃれなレストランで食事をしてインスタで自慢するような、なんか喜劇のような生活をするのではなく、稼いだお金でいいライフスタイルのヒントを探しにいく旅をしていったら、楽しいですよ。20代って、そういうことをするためにあるのだと思います。

語学留学の新しい目的

コロナウイルスの時代に、社会的に大きく変わったことのひとつは、リモートで働くことが増えたことだと思います。オーストラリアはちょっと感染者が出るとロックダウンをしてしまうので、僕の会社では、今でもほとんどのスタッフが自宅から仕事をしています。もちろん、東京のオフィスも必要な時だけ出社するというスタイルです。(月に数日あるかないかくらいのイメージです。)

これは日本の会社だけの特別な話ではなく、世界中の会社で同じようにリモートで働くことが普通になっています。オーストラリアの求人広告を見ても、勤務地はどこでも、みたいなものも多く見かけるようになりました。つまり、僕のように、旅をしながら仕事をすることが誰でも可能になっていくのだと思います。


でも、リモートで働く人たちに対して、日本企業ってどのくらい普通に扱ってくれるのでしょうか?自宅からはいいけど、旅をしながらの勤務はいかがなものか?とか言い出す人が、なんでか分からないけど、出てきそうな感じです。そんな、せこい人たちのおかげで、日本の生産性が上がらないのかもしれません。もちろん、そんなことは気にもしない素敵な企業も多くあると思いますけど。

もし、何か売れるスキルがあって(ITでもマーケティングでも何かの分析でも)、かつビジネスレベルの英語が使えるのであれば、これからの時代は、日本の田舎からでも、あるいは世界を旅しながら、世界中のどこかの企業で働くことが可能というか、そのレベルの人たちの中では普通の働き方になってくるのだと思います。

ですから、語学留学というものは、「日常会話ができるようになりたい」みたいな目標ではなく(それは国内の英会話学校で十分到達します)、異文化の理解も含めて、ビジネスで使えるレベルの英語習得を目指す方向にフォーカスされていくのだと思います。そして、就職に有利そうだからというなんとなくの理由ではなく、日本を含めた世界の企業で、どこからでも働くライフスタイルを確立するために、絶対に必要なものになっていくのです。

これからの日本の未来に不安を持っているなら、本当に英語は使えるようになっておいたほうがいいと思いますよ。

車のナンバー落としちゃった

西オーストラリア州で行きたかった場所の一つはバングルバングルというアウトバックの場所です。幹線道路から舗装していない道を50キロくらい運転して、インフォメーションセンターに到着して、そこからさらに10キロくらいの宿に滞在しました。

50キロの舗装されていない道だったら1時間くらいでしょ?みたいに思っていたのに、Google mapくんの予想では幹線道路から2時間、走り始めて、その意味が分かりました。とにかく道が悪いのです。そこをランドクルーザーみたいな本格的な4WD車たちは時速50キロ以上のスピードでラリーのように走っていきますが、我がスバル フォレスターくんは都会育ちなので、恐る恐る時速30キロくらいで走っていました。


そして、途中で5回くらい、小さな川を渡らなくてはなりませんでした。どのくらい深いかは分かりませんでしたが、進むしか選択肢がない(宿に着けない)ので、水に浸かる時間を短くするために、それなりのスピードで突っ込んでいました。なんとか無事に到着することができ、安心して、バングルバングルの景色をそれから2日間楽しむことができました。
(それについてはまた書きたいと思います。)

そして、帰りはまた長い荒れた道を50キロ走って、また5回、川を渡って、幹線道路に着いて休憩をしながら、ふと前方から車を見たら、、、

ナンバーが無い!


ことに気づいたのです。きっと僕のナンバーはどれかの川に沈んでいることでしょう。

これは、かなりまずい事態なのでは無いかと、次の街の警察に行って事情を話したら、「しようがないから、住所のあるクイーンズランド州に行くまでは、適当にボール紙にでも番号書いて貼っておいて。」みたいな指示が。「え、そんなんでいいの?」とは思いつつ、さすが、オーストラリア。顧客満足度を第一に考えてくれています。ということで、マジックとボール紙と荷物用の透明な梱包テープでナンバープレートを作成して、パトカーとすれ違わないことを祈りながら、2週間ほどドライブを続けました。

そして、クイーンズランド州に入り、落ち着いたので、その街の運輸局のオフィスに行きました。なぜナンバープレートが消えてしまったかについて、しっかりと理由(言い訳)を説明できるようにメモまで作っていたのに、担当のおばさまは、全く理由を聞くこともなく、
「はい、あなたの選択肢は2つ。32ドル払って、新しいナンバープレートを買う。これは、すぐにあげます。残っている後ろのプレートを外して持ってきてね。もう一つは、今までの番号をキープするために、新しいプレートをオーダーします。これは100ドルかかって、できるまでに1週間くらいかかります。どっちにしますか?まあ、普通の人は新しいの買いますね。」という、これまたお客様第一な解決案。というより、めんどくさいことはしたくない雰囲気がありましたが、その場で全てが終わってしまうのは旅人にはありがたかったです。

ちなみに、日本でナンバーの紛失などで検索してみると、やはり面倒な手続きが必要でした。その場で新しいナンバーを買っちゃうみたいな発想はないのだと思います。でも、考えてみると、古い番号は抹消し、新しい番号を車に紐付けるだけの話だから、オンラインで全てが進む、オーストラリアの方式の方が生産性はずっと高いのです。

日本のお役所仕事の生産性アップは楽しそうな仕事ですね。