オフグリッドで暮らしたい人々

先週末に、ビクトリア州のChilternという田舎町で行われた、オフグリッド・リビング・フェスティバルというイベントに参加してきました。僕たち夫婦は、引退したらどこかの田舎に水や電気を自給できる小さな家を建てて住もうと考えていて、その情報収集も兼ねて、はるばるアデレードから片道1000キロ近い道のりを2日かけてドライブしてきたのでした。



びっくりしたのが、そんなマイナーなトピックに、こんなに多くの人が興味を持ってわざわざ田舎町に(メルボルンからだと3時間くらいのドライブ)やってくるんだということです。でも、考えてみると、自然災害が増えたり、社会的な不安定さが増してくれば、多くの人々が、既存のインフラに頼らず生きることの価値を見直すということは自然なことなんだと思います。

出展している人たちは、エネルギー系(ソーラーパネルや大きなバッテリー、雨水タンクと浄水フィルターなど)、建築系(環境にやさしい家づくりのアイデアや断熱材などの商品)、農業系(パーマカルチャーなどの家である程度の自給自足を目指す工夫)、癒し系(エッセンシャルオイルとかヒーリングとか環境に優しく着心地の良い服とか)などのジャンルから、さまざまな会社というか個人の方達も参加していました。あと、このような大きなイベントなので、美味しいフードトラックもいくつもやってきていました。





そして、さまざまなジャンルごとにトークイベントのテントがあって、興味のあったトピックの話を聞くことができました。





印象に残ったのは、まずは、土に埋めたら完璧に土に帰る(コンポスタブル)なヘンプの生地で作られたTシャツを作っている女性。彼女はメルボルンのRMITという大学のファッション学科を卒業したのち、ファンション業界で働いていたけど、環境に良いビジネスをやりたいということで、「土に還る」ことをキーワードにビジネスを立ち上げたということです。海に流れていくマイクロプラスティックの多くは洗濯によって生み出されるということなので、僕たち夫婦も、この考え方に賛同して、シャツを買って帰りました。

もう一人印象に残ったのは、ほぼ貧困レベルに近いシングルマザーの方が、小さな家を建てたというスピーチ。貧しい人にも融資をしてくれる銀行を探し、本当に小さな家を建てることができたということで、「家さえあれば、ホームレスになることはない」という彼女の言葉が印象的でした。2人の子どもたちも学校には行かず、ホームスクールで学んでいるのですが、普通の子どもよりずっとしっかりとしてタフに見えました。きっと、自分でやらなくてはいけないことも多いのでしょう。なんでも親がやってくれることを期待している子たちとは圧倒的に違うオーラを発していました。こんな家族、日本だったら冷たい目で見られてしまいがちですが、とても自信を持ちながら、スピーチをされていたのが、その人たちの強さと共に、受け入れるコミュニティー側の柔軟さも、とても心地よく見えました。



家という、ライフスタイルの大きな部分を占めるプロジェクトを、自分なりにデザインしたいという人々たちが、情報を共有し、少しでも良いものを、少しでも安い価格で建てて、維持をするにはどうしたら良いのか?こんなイベントが日本でも人気が出ていくことを楽しみにしています。

学生ビザが取れるということ

先日、パースのEdith Cowan 大学のシティ・キャンパスが来年にオープンするので、そのプロモーションイベントに各国のトップエージェントが招待されイベントに参加してきました。中国、ベトナム、ネパール、フィリピン、南米など様々な国をターゲットにしている留学エージェントが集まり、様々な話をしました。

それぞれの国の留学事情というのは、ずいぶんと違うのですが、日本以外の国で一番の問題は「学生ビザの申請が許可されるか?」ということです。オーストラリアの学生ビザ申請の承認については、国ごとに違い、日本人は一番許可されやすいレベル1、例えばモンゴルの人たちは難しいレベル3です。申請書類の数や審査の厳しさも全く違います。

日本人の場合は、日本国内からの申請で、しっかりとした学校に留学するのであれば(学校にもレベルが設定されていて、レベル1の学校とそうでない学校では厳しさが違います。)ほぼ100%学生ビザは許可されます。しかし、他の国では、毎日のように、何か問題が起きてそれに対応しなくてはならないそうです。「日本人が羨ましい!」と滞在中、何度も言われました。

そんな恵まれた環境なのですから、日本人でいることにアドバンテージがあるうちに、若い人たちには海外で学ぶことを心からお勧めします。これは、僕が留学の会社をやっているからという打算的な話ではなく、これからやってくる、縮小する国内市場だけではビジネスが成り立たなくなる時代を考えたら、海外の人たちと仕事をしていくことは必須になるからです。旅行などで使える英語を習得することだけが目的なら、将来は翻訳ソフトや通訳ソフトが助けてくれるので、留学する必要はないと考える人も多いと思います。しかし、海外の人たちと仕事をしていくために、信頼を獲得したいというのであれば、留学をして、さまざまな国の人々と語り合う時間を経験することは、きっと役に立つと思いますよ。

避暑は南の街へ

先日の週末はアデレードには熱波がやってくるという予報だったので、急遽、アデレードから南に4時間のドライブで到着するRobeという街に泊まりに行ってきました。アデレードに住み出して最初は違和感がありましたが、最近は慣れてきたのは、北風は暑く、南風は冷たいということです。


「北風と太陽」というイソップのお話がありましたが、アデレードで北風が吹いたら、誰だってコートはすぐ脱いじゃうので、アデレードの子どもたちは、話の意味を理解するのに時間がかかっただろうなあとか、そんなくだらないことを考えながら、久々の車の旅を楽しんでいました。


Robeの街はアデレードから4時間近くかかるし、もう夏休みも終わったので、週末といってもあまり混んでいなくて、ちょうど良い賑やかさでした。そして、アデレードよりも5度から10度も気温が低かったので、(ちなみにアデレードは40度でした!)とても過ごしやすく、夕日を見に行った時はウインドブレーカーを着なくてはいけないくらい涼しくて快適でした。


ここは漁業と観光の街で、南オーストラリア州には、似たような街がいくつかあります。でも、この街の魅力だと思ったのは、地元の人々にも愛されている素敵な地ビール屋さんがあったり、アデレードのカフェでも使われているコーヒーのロースターなどが、しっかりとビジネスをしていることです。そこでは20代30代と思われる人々たちも楽しそうに働いていました。




これからどんどん成長とか発展するという街ではありませんが、持続可能には十分なラインは超えていると思いました。これからの時代って、むやみに成長を目指すのではなく、十分(enough)を目指して、それを維持していく方が、時代にも振り回されなくてストレスも少ないのだと思います。僕たちの留学のビジネスも、少子化が進んでいく中でも、会社が維持できる十分な数の素敵な若者たちに出会って、一人一人の人生についてゆっくり話ができていけば良いなと思います。

来年はこの暑い時期に1週間くらい滞在してみようかなと思っています。

語学学校に通う意義

英語力はゼロに近いけど留学したいという問い合わせを、時々受けるのですが、語学学校の価値が何かを考えると、そのアイデアはあまり得策ではありません。

語学学校に通う意義って、自分の話す英語が間違っていても構わない環境、つまり練習の場を提供することにあると思います。何か新しいことを学ぶということよりも、学生たちに練習の機会を与え、その練習につきあって、コーチをしてくれるところだと考えた方が良いです。そこでは、何度も失敗しても構わないというか、失敗を奨励してくれるような場なんだと思います。

ですから、少なくとも英語の基礎は身につけておいて、練習に参加できるレベルになってから、語学学校には通うべきなのです。サッカーで言えば、30分くらいは走れる体力と、インサイドキックとボールを止める技術くらいは身につけておかないと練習に参加する効果はほとんどないのと同じです。

では、その練習はどのくらいしたら良いのかということですが、ちゃんと基礎がある人で、3か月くらい語学学校にちゃんと通うと、ある日急に意識しなくても英語が聞こえてくるようになります。(もちろん、そうでもない人もいるのですが)そして、それと同じくらいのタイミングで、意識しなくても英語で考えることが出来るようになってきます。そして、不思議なのですが、夢の中で英語を話すようになるのです。僕は、時々、夢の中でテニスのアドバイスをジョコビッチやフェデラーから英語で受けています。(アドバイスはいいのですが、実践になかなかつながらない。)

そんな状況から、さらに半年とか1年とか英語の世界で暮らしていけば、普通に誰とでも英語でコミュニケーションを取れるようになるし、少なくとも海外の友人と一対一で深い話も出来るようになるのです。そして、そのような経験が、本当の意味での新しい視野を広げてくれるのです。

せっかくの留学の機会が、中途半端な結果で終わらないように、しっかりとしたプランを立ててくださいね。

2025年が起点になる若者たち

新しい年が始まりました。今年も、多くの若者たちが飛躍の年にしようとオーストラリアに留学にやってきます。

僕は、毎日、うちの会社に届く留学の問い合わせをひとつひとつ読んでいますが、コロナ直後は「オーストラリアでの生活を経験してみたい」とか「オーストラリアの学校で学ぶことを経験してみたい」など、「外国での生活を経験すること」が人生のやりたいことのリストに入っていて、それを実現するための留学・ワーホリであった感じでしたが、最近は、学ぶことがもっと具体的な高校生や大学生たちからの問い合わせが増えています。

留学を起点に、興味のある分野の研究をしてみたい、世界を舞台に働いてみたい、カフェをオープンするための学びがしたい、世界から日本に訪れるお客様をもてなしたい、など、それぞれの方向性に向かって、歩き出してください。歩き始めれば、必ず今までの延長線にはない、違う風景が見えてきます。その人にしか見ることが出来ない風景の中を歩いていくことが、その人らしい人生なんだと思います。経験だけを求めると、みんなオペラハウスの前で写真を撮ることになってしまうのです。

私たちの会社は、毎年1,000人以上(平均1,200人くらい)の留学のお手伝いをしているので、1,000人分の起点作りに関わっているのだという責任を感じながら、今年も楽しく仕事をしていきたいと思います。

先住民的経営

オーストラリアに暮らしていると、先住民の人々について考える機会が必ず出てきます。彼らは狩猟と採集によって食べ物を調達して、農耕という手段を持たなかった人々で、それゆえ文化レベルが低いと考えられていました。

でも、実際の生活は、食料調達に費やす時間は1日のうちの数時間で、あとはのんびり暮らしていたようです。(カンガルーなんか獲れちゃった時は3日くらいはのんびりできたでしょうね。)基本的には移動する生活だから、土地に縛られることもないし、そこに住まなくてはいけないということが無ければ、人を支配するという概念も生まれません。きっと縄張り争いみたいなことはあったでしょうが、その当時の人口を考えれば、場所さえ移動すれば自然はそれなりに恵みを与えてくれたのでしょう。

農耕文化によって、人々は安定した暮らしを出来るようになったと教わった気がしますが、実際のところは、どうだったのでしょう。労働力のために子どもが多く生まれ人口が増え、その家族を養うために、さらに働かなくてはならなくなって、人々はその土地に固定され、支配者に年貢を納め、天候不順や自然災害が起きたら他に食べ物を調達する方法がないから飢饉になるみたいなことが、それ以降の歴史なんだと思います。そして、どうやって従順に人を働かせるかが、支配者たちの大きなテーマになっていったわけです。

そんなことを考えると、僕たちの会社は、先住民時代の生活みたいな経営です。管理とかルールとかは最低限にして、スタッフ一人一人がかなり自由に動いています。今は、オーストラリア留学って、オーストラリア政府が留学生の数を制限するなど、逆風が吹いている感じなのですが、そんな状況でも、これからの若者たちにとって意義のある留学とは何かというアイデアをスタッフ一人一人が考え続けているので、特に利益が減ることもなく、楽しく時代の流れに乗って歩いている感じです。

日々はちゃんと始まる

先日、アデレードから6時間くらいドライブしたところにある、ニューサウスウエールズ州のMungo National Parkで週末を過ごしました。ちょうど、さらに遠い田舎の場所でテニスの試合があったので、その帰りにゆっくりと週末を過ごすために寄ってみたのです。

そこには、かつて湖だった場所が干上がって出来た地形があり、その中には、数万年前にアボリジニの方々が住んでいた足跡などの化石?が残っていて、アボリジニの人々が数万年前からオーストラリアに住んでいたことが分かる貴重な遺跡として世界遺産としても認定されています。

とはいえ、あとは、広大な自然が横たわっているだけです。天気も良さそうだったので、早起きして、日の出を見に行ってきました。明るくなるにつれ、鳥たちが騒ぎ出し、夜に活動していたカンガルーたちが今日の昼寝の場所を探しに飛び跳ねていました。新しい1日の始まりに、「今日は調子が出ないなあ」とか「何して過ごそうかなあ」とか考えることもなく、やるべきことを粛々と、全ての自然が、世の中が、動き始めていました。


そんな光景を見ながら、「僕の1日が始まった」と、ちょっと嬉しくなりました。シンプルに日の出と共に動き出し、今日やるべきことをやって毎日が過ぎていくことで、人間や生物は世代を繋いできた、その流れに参加出来た感じです。ナショナルパークのインフォメーションセンターで観たビデオで、アボリジニの方が、ここで暮らしていた4万年前の先祖と現代の私たちには何の距離(distance)も無いと語っていたことが、少し分かった気がしました。

物語を魅力的にするための留学

ある人と友達になりたいと思ったり、この人を採用してみたいと感じる理由には、その人の人生の物語が魅力的かどうか、ということがあると思います。

そしてどんな魅力的な物語にも、何かにむかって努力していると障害や難しい問題や危機が訪れて、苦しい状況になるけど、それを克服して成長するという展開が必要です。生まれてから、私の人生は苦労したこともなく、平和で幸せな人生ですという人が魅力的かどうかは、微妙なところです。

僕たちの会社のWEBサイトには留学生たちの体験談を数多く掲載していますが、その物語は、人それぞれ、本当に面白いし、魅力的です。でも、自分ではその魅力に気づいていなかったり、うまく言語化できないでいたりします。僕たちが体験談をお願いしたり、インタビューなどをすることで、いかに自分の経験が特別なものなのかを気づくという事もあるようです。そして、僕たちの仕事の一番面白いというかやりがいを感じるのが、そのような物語を一緒に言語化(最近は映像化も)していくことなのです。

せっかく留学をしても、「世界中の友達に会えました。カフェでバイトができて儲かりました。楽しかったです。」みたいな物語でもなんでもない体験談にならないように、留学のプランを一緒に考えていければと思います。

国が行けと言うから留学?

留学の仕事をするようになって、15年くらいになりますが、今の時代は国や大学が留学を奨励するという不思議な時代です。10年以上前は、留学するための休学は許さないスタンスの大学が多かったのに、今ではどんどん留学しましょうという全く逆の雰囲気になっています。教育って国が責任を持ってその国の若者たちを育てるためにあると思うのですが、それを例え短期間であっても丸投げしちゃうというのは、責任あるスタンスではない気がします。しかし、それのおかげで留学業界は恩恵にあずかれるので、ロビー活動にも力が入るのだと思います。

お上の言うことを聞いて思考停止になりたくない、少し尖った若者たちのために留学ビジネスをしている僕にとっては、なんだかなあって感じなのです。海外で学ぶことの一番大きなメリットは、国や日本人と言う集団から少し距離を置いて、世界中からやって来た人々の中で、自分とは何かを考える機会を得ることだと思います。大学の授業の一環で仲間と一緒に海外に出かけても、それは修学旅行で京都に行くのと同じくらい印象に残らないでしょう。「この件、日本人の君はどう思う?」と尋ねられる環境がどのくらいあるのか、そして、その時に周りの海外からやってきた友人たちの共感を呼ぶような答えができるかどうか、そんな目的のために鍛錬を重ねる留学生活を楽しんでほしいと思います。

週末の散歩コース

アデレードも真冬は終わり、少しずつ春の気配を感じるようになってきました。この時期は散歩の季節です。最近、家の近くに素敵な散歩コースを見つけたので、紹介します。アデレードには数多くの散歩コースがあり、「walking track + 自分の住んでいる町」で検索すると、気に入った散歩道を探せると思います。

僕たちは、アデレード大学のワイン醸造学で有名なWaiteキャンパスの近くに住んでいるのですが、実はそのキャンパスが起点で2時間くらいの散歩コースがあります。このコースの途中にある、展望台から見るアデレード市内の眺めはとても良いと評判だったので、楽しみにしていました。

まずは、入り口はこんな感じ。ここは周回するルートなのですが、今回は最初に丘を登っていくルートを選びました。最初にきつい時間を過ごして、展望台でおにぎりを食べて、あとはのんびり丘を下って帰ってこようという計画です。


丘を登っていくときはこんな景色。谷のような地形で太陽の日が届かないので、ひんやりとした空気が気持ち良いです。それでも階段のような道を登っていくと暑くなってきました。途中では、コアラが寝ていました。起こそうかと思って声をかけたのですが、全く動じず熟睡してました。


そして、丘の上に到着して、展望コーナーで一休みです。ここからはアデレードの市内とその先に海も一望できます。そして、ベンチとテーブルがあるので、ここで軽いランチ(おにぎりとゆで卵)をとって、しばらくのんびりアデレードの街を眺めていました。オーストラリアの州都の中では、小さな街ですが、緑が多いことが分かると思います。美しい街ランキングで世界のトップの一つに常に入っているのもよく分かります。


そして、散歩も後半戦。あとはゆっくりと下っていくだけです。途中カンガルーものんびりしていました。このように週末は、天気が良ければ自然の中を歩いています。こんなところが、家のすぐ近くにあるのはとても幸運なことなので、この春の間に、別の散歩コースも開拓していきたいと思っています。