街をあげての環境対策

オーストラリアに住んで13年が経ちますが、先月から住み出したアデレードでは、ゴミの分別が今までと違って、一般ゴミとリサイクルゴミの2つではなく、さらにコンポスト用(堆肥)の自然ゴミの3つに分類しています。ちょうど、近くの図書館で、そのコンポスト用のゴミの分別についてセミナーがあったので行ってきました。


面白かったのは、一般ゴミとして捨てられているものの50%はコンポスト用に使用でき、つまり土としてリサイクルされて、販売や利用ができるということです。オーストラリアでは一般ゴミは埋め立てに使われ、環境には良くないので、それが50%も削減できるなら、それは経済的にも素晴らしいインパクトを与えてくれます。コンポストにできるゴミとは、食べ物の残り、葉っぱや小枝などの植物、そして驚いたのはほとんどの紙ゴミです。紙素材のものは、オーガニックなものとは考えていなかったので、それがコンポストに出来るなら確かに目標に到達することが出来そうです。

アデレードにはいたるところに公園があったり、一般の家庭でも、庭に美しい花や果樹を植えている人たちが多いというかそれが当たり前の世界なので、値段が安く環境にも優しい堆肥を生産するシステムを作ることは、人々にも環境にも良いことなのでしょう。その目標に向かって、街ぐるみで取り組んでいるので、先日は、生ゴミを入れるためのゴミ箱とコンポストに入れてもいいゴミ袋が各家庭に無料で配られました。


東京の莫大な量の生ゴミは、カラスに引っ掻きまわされるか、焼却されて灰になるだけですが、それらが堆肥になって花壇や公園の緑化に使われるとしたら、協力する市民は多いと思うのですが、どうなんでしょうね。

アデレードに住むことにしました

久々の投稿ですが、しばらく滞在して、とても気に入ったので、アデレードに少なくとも1年間は住むことにしました。直感的には3年くらいは楽しめるのではないかと思っています。旅の生活はもちろん楽しいのですが、常に旅人であり、異邦人でいるのは、時々疲れたり、さびしくなったりします。それに対して、住むという決断は、そのコミュニティーの中に自分との繋がりを作りたいと考えるところからスタートするのだと思います。



そして、アデレード近郊に滞在しているうちに、この街にもう少し友達を増やしてみたいと考えるようになりました。オーストラリアの他の大都市に比べるとアデレードは少し田舎くさいし、お洒落さも少ないのですが、それが、落ち着いて生活するには良い雰囲気です。市内から20分くらいでビーチにも行けるし山にも行けるし、週末のマーケットはいい感じだし、四季を楽しむこともできるし、食べ物はとても美味しいし、日本人には何か懐かしさを感じることが出来る場所です。ラッキーにも、家具付きの小さな家を見つけることができ、新しい場所での新しい生活に少しうきうきしています。



先日政府の方針が発表され、オーストラリアの留学市場は、これから大きく変わっていくと予想されます。より、高度なスキルや能力を持っている若者たちが優遇され、オーストラリアに出稼ぎに行くみたいなワーホリの人たちには厳しい時代がやってきます。そんな時代を前にして、オーストラリアの経験をキャリアや人生にどう活かしていったらいいのかをじっくりと、この落ち着いた環境のアデレードで考えていきたいと思います。

ベストを尽くす

実は今は日本に滞在しています。実家の近くに高校があるのですが、週末に駅まで歩いていく途中、その高校の前で、試合に来たと思われる陸上か何かのチームが監督みたいな人に怒られていました。女子高生たちが一列に並ばされて、中年のおじさん監督が愛のある?罵声を浴びせていました。(あまり、いい言葉遣いではなかったので、具体的には書きませんが。)

いまだに、こんな風景ってあるんだなあと思ったのですが、そのおじさん監督にとっては、その世界でしか生きてこなかったので、そのように叱責することが正しいことなんでしょう。でも、そんな風に教育された若者たちが、大人になってブラック企業で部下たちを罵倒するかもしれないことを考えると、この負の連鎖は断たなければいけません。


じゃあ、僕が監督だったら何を語るんだろうと考えてみると、「ベストを尽くしましたか?」という質問が思い浮かびました。個人として、チームとして、ベストを尽くせたのかを各メンバーが考える時間は大切だと思います。もし、ベストが尽くせなかったとしたら、その原因と次はどうしたいかを聞くのだと思います。チーム競技だったら、それを皆んなで考えることもチームの質を高めるのに役に立つと思います。というか、青春の大切な時間の使い方として思い出に残るかもしれません。

スポーツなんて、しょせんゲームなので、勝つ時も負ける時もあると思います。勝敗にこだわるのではなく、本当にベストを尽くせたかどうかにこだわっていけば、その高校生の人生に生きてくるのだと思います。そして、ベストを尽くせたというゲームはなかなか難しく、60歳になってもそんなやり切ったテニスの試合ができることが、僕の目標です。

社会を支える人々

オーストラリアで暮らしていると、さまざまなところで、日本との違いに気づくのですが、その一つがブルーワーカーの人々が元気そうに見えるということです。ビルや家などの建築現場、道路の工事、草刈りや街路樹の剪定などの仕事、そんな仕事をしている人たちは朝早くから現場に行って、元気に仕事をしています。給料もしっかりと設定されているので、オフィスで働く人たちと変わらない収入があるのだと思います。もちろん、体が資本の仕事なので、大変だと思いますが、オフィス仕事をしたくない人々もある割合ではいるのですから、その人たちがちゃんと生活していける仕組みがあるのがオーストラリアの安定した社会を作っていると思います。


日本社会では、そのような人々の扱われ方が、不公平な感じがします。若者たちで、そのような仕事につきたいと考える人たちは少ないでしょうし、そのような仕事をしている人たちの年収は平均以下かもしれません。でも、社会を支えているという意味では、大企業のほとんど生産性が無いおじさんよりも、ずっと社会のためになる仕事をしているわけで、仕事の価値としての対価が収入とするなら、仕事をしてないおじさんよりも、給料は高くあるべきだと思うのです。

ブルーワーカーの方達の仕事でも、自動化やAIに脅かされる仕事もあるとは思いますが、よく考えてみると普通のオフィスワークに比べると、ずっとマニュアル化しづらい仕事が多いことに気づきます。まずは、そのような社会を支える人々の賃金を上げて、しっかりとした生活を可能にすることが、優しい社会に向けての第一歩になると思います。

自然に戻る楽しみ

9月になりました。10月の末には、サンシャインコーストのアパートを引き払って、また車での旅が始まります。今回は、どのくらいの期間旅を続けるのかとか、オーストラリア1周するなどの目標がないので、一つの場所にゆっくりと時間をかけながら、オーストラリアを楽しみたいと思っています。最初に目指すのはメルボルン経由でタスマニアです。11月の初旬から1月の初旬まではタスマニアの自然の中にいるつもりです。自然の中の小屋みたいなところに滞在しながら、シンプルな生活と散歩を楽しむつもりです。


都会育ちの僕が、なぜそんな生活に快適さを感じ、やめられなくなったのは、自然の中には、誰の思惑も感じることが無いからかもしれません。自由との付き合い方を自分なりに決められるというのは、現代人の特権だとは思いますが、僕の場合は、人々の思惑がうごめく都会の生活は十分に楽しんだと思えるので、人が触ったことのなさそうな自然の中に放り込まれると、すごく自由な感じを得ることができるのです。

幸い、オーストラリアには僕を食べようとする猛獣はいないので、きっと日本の山奥を歩くよりも緊張感がないことも、いいのだと思います。そしてオーストラリアの国立公園は、日本では考えられないくらい人に出会わないし、最低限の道だけ整備されているので、その素朴な感じもなかなか心地がいいのです。

コロナもある意味で収束をして、留学生たちが前のようにオーストラリアに戻ってきて、経営者としてのストレスはずいぶんと少なくなったので、自然の中をあまり物事を考えずに、歩いていきたいと思います。

マーケットが好きな理由

先週の週末に、サンシャインコーストの内陸にあるWittaという村のマーケットに行ってきました。僕たちは、普段の生活でも野菜はマーケットで買うことが多いし、オーストラリア一周の旅をしている時も、その街のマーケットで買い物をしていました。数多くのマーケットを見てきましたが、Wittaのマーケットは、その雰囲気がオーストラリアの中でも一番ではないかと思うくらい素敵です。広々とした芝生に、さまざまなお店が出て、必ず地元のミュージシャンが音楽をやっていて、田舎なので、みんな買い物だけでなく、ゆっくりとそこで時間を過ごすためにやってきている感じです。できるだけ、留学生たちも連れていくのですが、必ず気に入ってくれるマーケットです。


なぜ、僕たち夫婦がマーケットが好きかというと、地消地産ということで、環境への負荷が少ないということと、新鮮でオーガニックなものが手に入るということに加えて、小さなお店で頑張っている人たちを見に行ったり、お話をしたりするのが楽しいからです。東京の高級スーパーマーケットでは味わえない、素敵な時間を過ごすことができます。せっかく自分の大切なお金を使うのだったら、応援したくなる人たちに使いたいですよね。


このWittaのマーケットでは、応援したい店がいくつもあって、パン屋さんとか、かつてうちの会社のお客様で永住権を獲得した方がやっている指圧のお店だったり、日本人がやっているお味噌屋さんだったり、日本人が少ないサンシャインコーストで頑張ってる日本人の方達にも会うことができます。もちろん、オーストラリアの田舎の人々たちの作ったジャムやレリッシュなども最高です。



でも、一番応援したくなったのは、この子たち。ニワトリを1ドルで抱かせてくれるビジネスをしていました。サインも手作りで可愛いし、でもちゃんとルールも書いてあって、しっかりと経営?されています。僕の奥さんが1ドル払って体験していました。1ドルで、絶対に幸せな時間を得られるというのは、かなり高い投資対効果が約束されているビジネスですよね。子どもたち、将来が楽しみです。


土に還る雑誌

僕たちはスーパーマーケットで買うのは牛乳や豆腐など限られたものなので、あまり行かないのですが、それでも週に一度くらいは近くのIGAというスーパーマーケットに散歩がてら出かけます。歩いて行けるし、地元の会社の商品(コーヒーとかジャムとか)が並んでいるコーナーとかもあって、なぜか親しみが湧く、コンビニみたいなお店です。


そこでふと見つけたのが、こんなフリーペーパー。僕が住んでいるサンシャインコーストの情報が掲載されています。基本的には、サンシャインコーストのビジネスを紹介する記事広告的な内容ですが、ちゃんと編集されているので、読みやすかったです。そして、それに加えてその雑誌のコンセプトがなかなか面白かったので、紹介します。


まずは、この雑誌は土に還る紙に印刷されています。読み終わったら、友達にあげるか、リサイクルするか、ミミズにあげてねと書いてあります。環境に負荷をかけないという意味では、コストやエネルギーを追加してリサイクルするより、自分の庭にそのまま捨ててミミズが食べて土が豊かになるというのは、いいですよね。


そして、この雑誌のさらに面白い挑戦は、雑誌のWEBサイトもSNSもデジタル版も作っていないということです。つまり20年前に戻って、デジタルな世界に繋がっていない時間を意識的に作って、お茶でも入れて、この雑誌を読んでね。というメッセージなのです。SNSに疲れている人たちが増えている今だからこそ、説得力も出てきます。

サンシャインコーストであれば、そんなメッセージも多くの人たちが受け入れてくれると思います。たった1万部発行の紙媒体。でも既に11号になっていました。サンシャインコーストの人々の、ゆっくりとした時間に貢献しているんですね。ビーチでの昼寝前にちょっと読みたくなる雑誌でした。

60歳のとき

60歳になりました。


中学校1年生か2年生の時に、エルトン・ジョンのYour Songを聴くためにアルバムを買ったら、「60歳のとき」(Sixty Years On)という悲しい感じの歌が入っていました。「60歳の時に、僕のことを誰が教会に連れていってくれるのだろうか、、、、60歳まで生きたいとは思わない。。」みたいな歌詞で、人生の中で初めて60歳を意識した経験でした。そして、僕も60歳までは生きていないんじゃないかなと、13歳か14歳の時には真面目に思っていたのです。

そんなことを考えていた僕の人生もあっという間に過ぎていき、60歳になってしまいました。素敵な家族に恵まれ、いまだに健康で毎日テニスをして、仕事も順調で、かなり幸せな60歳なんだと思います。

でも、友人の何人かは、もうすでにこの世にはいないし、そんな無常を考えると、別に今の幸せを維持していくことを目指して生きていてもつまらないと思うのです。つまらないというか、うまくいかなくなることが増えていって、辛くなっていくと思うのです。最近、60代の方の自殺が多いのは、そんな過去へのこだわりが理由なのかもしれません。

ですから、還暦ということで、また赤ちゃんに戻って赤い服を着なくちゃいけないなら、ゼロに戻って、新しい実験を始めたいと思います。さらにミニマルな生活を確立して、また旅を始めるつもりです。昨年、1年間のオーストラリア一周の旅を終わった時には、5年後くらいにまた旅の生活に戻りたいとか言っていたのですが、1年で路上生活に逆戻りです。


幸いにも、オーストラリアの国境が開き、多くの留学生たちが戻ってきているので、きっとさまざまな場所でお客様たちに会えるでしょう。出来るだけ多くの留学生たちと、街のカフェや、森の中を歩きながら、そしてビーチを眺めながら、あるいはテニスをしながら話をして、旅を続けていくのが、僕の60代の過ごし方になっていくのだと思います。

みんなで休もう

留学会社には、日本にオフィスのある会社と、留学先、僕たちの会社で言えばオーストラリアにオフィスのある会社の2つのタイプの会社があります。インターネットのない時代は、日本にオフィスのある会社が宣伝をしてカウンセリングをして申し込みをもらって、お客様を留学させて、オーストラリアにある現地の会社はそのお客様のサポートをするというのがこの業界のビジネスの仕組みでした。しかし、インターネットの普及とともに、リアルな情報を持つ現地の会社(つまり僕たちのような会社)がWEBサイトやメールで、直接お客様とコンタクトをして、申し込みをいただき、サポートも無料で提供できるようになりました。そして、最近はZoomなどのオンライン会議の仕組みを使って、オーストラリアと日本を繋いでカウンセリングが出来るようになり、メールカウンセリングの時代に比べて、質と効率性を高めることができています。


ところが、オンラインカウンセリングの需要が高まっていく中で、新たな問題が起きてきたのです。オンラインカウンセリング希望が日本時刻の夜の7時とか8時からという方が、何人もいらっしゃるのです。あるいは、平日は仕事で忙しいので週末にというお客様も多いです。残念ながら、うちの会社は営業時間はオーストラリアの9時30分から18時まで、週末はお休みなので、そのようなご希望に添うことができません。きっと日本の留学会社は残業して夜にカウンセリングはするし、週末も営業をしてチャンスを逃さないのでしょうね。

オーストラリアに住むようになって、最初の頃は、ショッピングモールのお店が夕方の5時に閉まっちゃったり、レストランでさえ8時くらいにはラストオーダーになってしまうことがとても不思議でした。あと1時間でも長く営業すれば、もっと売上も伸びるのにとかって思ったのですが、実はそんなことはなくて、多くの人々がそういう時間帯で生きているので、営業時間を伸ばしたところで、それに見合う利益は得られないようです。夕食は家族やパートナーと一緒に6時30分とか7時に食べて9時とか10時には寝てしまう。週末は家族や友だちと自然の中で過ごすのでオフィスに行くことなんてあり得ない。そんなオーストラリアのライフスタイルに慣れると、とても心地よい毎日です。

でも、日本で生活している人たちに対して、平日の日中しか対応できませんとかっていうのは、サービス業としては話にならないのですかね。仕事が忙しくても、どうせその仕事を辞めて留学することを考えているのだから、半日くらい休んじゃったって大丈夫、というわけにもいかないのでしょうね。うーん、悩ましいところですが、みんな気兼ねなく休める社会になって欲しいですね。

社会を変えるステップ

オーストラリアではこの週末に総選挙が行われます。今回の選挙では、9年ぶりに労働党が政権を取るかどうかに注目が集まっています。

オーストラリアで選挙が行われるたびに考えるのが、投票は権利なのか義務なのかという問題です。オーストラリアでは投票に行くことは国民の義務だと考えられていて、投票しないと罰金が科せられます。罰金と言っても2,000円くらいの話なのですが、それを期日までに払わないとまたさらに高くなって裁判所に呼び出されたりするようです。そんなシステムのおかげで、オーストラリアの投票率は90%くらいを維持しています。


日本はご存知のように、投票率は50%に達しません。そして、投票に行くのは年寄りばかりなので、政権を担っている政党のマーケティングとしては、年寄りに優しい政策を打ち出せばいいし、投票しない若者の未来なんて考える必要もないのです。そんな状況では、長期的な視点を持って、国民の生活を良くしていこうなんて不可能ですよね。

選挙を開催するには、たぶんすごくコストがかかると思います。有権者ひとりあたりにかかるコストって幾らくらいなんでしょう?棄権する人たちに、棄権するなら少なくともそのコストは負担してねと罰金という税金を納めてもらうなど、オーストラリアのように、ある程度の強制力を持たせないと、いつまで経っても投票率は低いままで、爺さん婆さんにウケの良い政策が続いて、これから先も若さが感じられない社会が続いていくのだと思います。

このブログを書くにあたり、国民の権利とか義務について調べたのですが、日本国民の義務は教育・勤労・納税だと、小さい時に学んだことを思い出しました。でも今の世の中、学びたくない、働きたくない、税金払いたくない人がいっぱいいる感じですね。これから、いったい、どうなっていくんでしょう。