袖ふれあうも

実は日本に短期間、帰ってきていました。今は羽田空港にいて、これからオーストラリアに戻ります。今回のメインの目的は、日本の免許証更新だったので、それは簡単に終了し、あとは友人と会ったり、お客様と会ったりして、とても蒸し暑い日本の夏を楽しみ?ました。きっと次に日本の夏を経験するのは5年後の免許更新だと思います。(本当に暑かったです。)


さて、オーストラリアでの生活が12年目となった僕が、東京に帰ってきて少し気になるのが、人々の間で、ちょっとした会話がないこと。コロナのせいなのかもしれませんが、人々はたくさんいるのに、奇妙な静寂が少し不気味です。例えば、バスや電車に乗っていて、何も言わずに人をかき分けて降りようとする人々。エクスキューズ・ミーの一言を言えば、もっと社会は優しくなるのにと思います。

オーストラリアでは、マーケットのベンチで隣に座った人と、どこの屋台が美味しいとか、日本から来たの?とかちょっとした会話を楽しむことが日常です。会う人全員と話すわけではないけど、目が合ったら挨拶をして、少しだけコミュニケーションを楽しみます。そんなことが、オーストラリアの社会を温かくしていると思います。

ですから、僕は日本でも、カフェで隣に座った人、バス停で一緒に待っている人、井の頭線で隣に立った40歳以上若い高校の後輩などに、平気で声をかけて、少しだけ会話を楽しみます。(もちろん、怪しげな人に思われたくないので、会話しても大丈夫そうな人に声をかけます。)たった、1分にも満たない時間でも、それは僕を少しだけ幸せにしてくれます。変なおじさんに声をかけられても、これも他生の縁だと思うとあきらめがつくかと思いますので、つきあってくださいね。

61歳だってタイパは大切

61歳の誕生日がやってきました。若い頃の誕生日の感覚と全く違うのは、未来に限りがあるということをリアルに感じることです。この感覚は、若い人々、つまりは私たちのお客様たちの世代には、説明しても理解してもらえないことですが、今はタイパが重要な若者たちにも、いつかこの感覚が分かる日がやってくるのです。


考えてみると、僕にとってもタイパ(タイムパフォーマンス)はとても重要なことで、そのパフォーマンスを測る指標が、若い人たちで言うところの量とか生産性ではなく、大切な人々、つまり家族や友人や会社のメンバーやお客様と、ゆっくりと深く語り合う時間を過ごせるかということです。

これから先の限りある時間だからこそ、記憶の彼方に流れていってしまうのではなく、印象に残る時間を積み上げていきたいと思います。お茶に行きたい人、声をかけてくださいね。

街をあげての環境対策

オーストラリアに住んで13年が経ちますが、先月から住み出したアデレードでは、ゴミの分別が今までと違って、一般ゴミとリサイクルゴミの2つではなく、さらにコンポスト用(堆肥)の自然ゴミの3つに分類しています。ちょうど、近くの図書館で、そのコンポスト用のゴミの分別についてセミナーがあったので行ってきました。


面白かったのは、一般ゴミとして捨てられているものの50%はコンポスト用に使用でき、つまり土としてリサイクルされて、販売や利用ができるということです。オーストラリアでは一般ゴミは埋め立てに使われ、環境には良くないので、それが50%も削減できるなら、それは経済的にも素晴らしいインパクトを与えてくれます。コンポストにできるゴミとは、食べ物の残り、葉っぱや小枝などの植物、そして驚いたのはほとんどの紙ゴミです。紙素材のものは、オーガニックなものとは考えていなかったので、それがコンポストに出来るなら確かに目標に到達することが出来そうです。

アデレードにはいたるところに公園があったり、一般の家庭でも、庭に美しい花や果樹を植えている人たちが多いというかそれが当たり前の世界なので、値段が安く環境にも優しい堆肥を生産するシステムを作ることは、人々にも環境にも良いことなのでしょう。その目標に向かって、街ぐるみで取り組んでいるので、先日は、生ゴミを入れるためのゴミ箱とコンポストに入れてもいいゴミ袋が各家庭に無料で配られました。


東京の莫大な量の生ゴミは、カラスに引っ掻きまわされるか、焼却されて灰になるだけですが、それらが堆肥になって花壇や公園の緑化に使われるとしたら、協力する市民は多いと思うのですが、どうなんでしょうね。

アデレードに住むことにしました

久々の投稿ですが、しばらく滞在して、とても気に入ったので、アデレードに少なくとも1年間は住むことにしました。直感的には3年くらいは楽しめるのではないかと思っています。旅の生活はもちろん楽しいのですが、常に旅人であり、異邦人でいるのは、時々疲れたり、さびしくなったりします。それに対して、住むという決断は、そのコミュニティーの中に自分との繋がりを作りたいと考えるところからスタートするのだと思います。



そして、アデレード近郊に滞在しているうちに、この街にもう少し友達を増やしてみたいと考えるようになりました。オーストラリアの他の大都市に比べるとアデレードは少し田舎くさいし、お洒落さも少ないのですが、それが、落ち着いて生活するには良い雰囲気です。市内から20分くらいでビーチにも行けるし山にも行けるし、週末のマーケットはいい感じだし、四季を楽しむこともできるし、食べ物はとても美味しいし、日本人には何か懐かしさを感じることが出来る場所です。ラッキーにも、家具付きの小さな家を見つけることができ、新しい場所での新しい生活に少しうきうきしています。



先日政府の方針が発表され、オーストラリアの留学市場は、これから大きく変わっていくと予想されます。より、高度なスキルや能力を持っている若者たちが優遇され、オーストラリアに出稼ぎに行くみたいなワーホリの人たちには厳しい時代がやってきます。そんな時代を前にして、オーストラリアの経験をキャリアや人生にどう活かしていったらいいのかをじっくりと、この落ち着いた環境のアデレードで考えていきたいと思います。

ベストを尽くす

実は今は日本に滞在しています。実家の近くに高校があるのですが、週末に駅まで歩いていく途中、その高校の前で、試合に来たと思われる陸上か何かのチームが監督みたいな人に怒られていました。女子高生たちが一列に並ばされて、中年のおじさん監督が愛のある?罵声を浴びせていました。(あまり、いい言葉遣いではなかったので、具体的には書きませんが。)

いまだに、こんな風景ってあるんだなあと思ったのですが、そのおじさん監督にとっては、その世界でしか生きてこなかったので、そのように叱責することが正しいことなんでしょう。でも、そんな風に教育された若者たちが、大人になってブラック企業で部下たちを罵倒するかもしれないことを考えると、この負の連鎖は断たなければいけません。


じゃあ、僕が監督だったら何を語るんだろうと考えてみると、「ベストを尽くしましたか?」という質問が思い浮かびました。個人として、チームとして、ベストを尽くせたのかを各メンバーが考える時間は大切だと思います。もし、ベストが尽くせなかったとしたら、その原因と次はどうしたいかを聞くのだと思います。チーム競技だったら、それを皆んなで考えることもチームの質を高めるのに役に立つと思います。というか、青春の大切な時間の使い方として思い出に残るかもしれません。

スポーツなんて、しょせんゲームなので、勝つ時も負ける時もあると思います。勝敗にこだわるのではなく、本当にベストを尽くせたかどうかにこだわっていけば、その高校生の人生に生きてくるのだと思います。そして、ベストを尽くせたというゲームはなかなか難しく、60歳になってもそんなやり切ったテニスの試合ができることが、僕の目標です。

社会を支える人々

オーストラリアで暮らしていると、さまざまなところで、日本との違いに気づくのですが、その一つがブルーワーカーの人々が元気そうに見えるということです。ビルや家などの建築現場、道路の工事、草刈りや街路樹の剪定などの仕事、そんな仕事をしている人たちは朝早くから現場に行って、元気に仕事をしています。給料もしっかりと設定されているので、オフィスで働く人たちと変わらない収入があるのだと思います。もちろん、体が資本の仕事なので、大変だと思いますが、オフィス仕事をしたくない人々もある割合ではいるのですから、その人たちがちゃんと生活していける仕組みがあるのがオーストラリアの安定した社会を作っていると思います。


日本社会では、そのような人々の扱われ方が、不公平な感じがします。若者たちで、そのような仕事につきたいと考える人たちは少ないでしょうし、そのような仕事をしている人たちの年収は平均以下かもしれません。でも、社会を支えているという意味では、大企業のほとんど生産性が無いおじさんよりも、ずっと社会のためになる仕事をしているわけで、仕事の価値としての対価が収入とするなら、仕事をしてないおじさんよりも、給料は高くあるべきだと思うのです。

ブルーワーカーの方達の仕事でも、自動化やAIに脅かされる仕事もあるとは思いますが、よく考えてみると普通のオフィスワークに比べると、ずっとマニュアル化しづらい仕事が多いことに気づきます。まずは、そのような社会を支える人々の賃金を上げて、しっかりとした生活を可能にすることが、優しい社会に向けての第一歩になると思います。

自然に戻る楽しみ

9月になりました。10月の末には、サンシャインコーストのアパートを引き払って、また車での旅が始まります。今回は、どのくらいの期間旅を続けるのかとか、オーストラリア1周するなどの目標がないので、一つの場所にゆっくりと時間をかけながら、オーストラリアを楽しみたいと思っています。最初に目指すのはメルボルン経由でタスマニアです。11月の初旬から1月の初旬まではタスマニアの自然の中にいるつもりです。自然の中の小屋みたいなところに滞在しながら、シンプルな生活と散歩を楽しむつもりです。


都会育ちの僕が、なぜそんな生活に快適さを感じ、やめられなくなったのは、自然の中には、誰の思惑も感じることが無いからかもしれません。自由との付き合い方を自分なりに決められるというのは、現代人の特権だとは思いますが、僕の場合は、人々の思惑がうごめく都会の生活は十分に楽しんだと思えるので、人が触ったことのなさそうな自然の中に放り込まれると、すごく自由な感じを得ることができるのです。

幸い、オーストラリアには僕を食べようとする猛獣はいないので、きっと日本の山奥を歩くよりも緊張感がないことも、いいのだと思います。そしてオーストラリアの国立公園は、日本では考えられないくらい人に出会わないし、最低限の道だけ整備されているので、その素朴な感じもなかなか心地がいいのです。

コロナもある意味で収束をして、留学生たちが前のようにオーストラリアに戻ってきて、経営者としてのストレスはずいぶんと少なくなったので、自然の中をあまり物事を考えずに、歩いていきたいと思います。

マーケットが好きな理由

先週の週末に、サンシャインコーストの内陸にあるWittaという村のマーケットに行ってきました。僕たちは、普段の生活でも野菜はマーケットで買うことが多いし、オーストラリア一周の旅をしている時も、その街のマーケットで買い物をしていました。数多くのマーケットを見てきましたが、Wittaのマーケットは、その雰囲気がオーストラリアの中でも一番ではないかと思うくらい素敵です。広々とした芝生に、さまざまなお店が出て、必ず地元のミュージシャンが音楽をやっていて、田舎なので、みんな買い物だけでなく、ゆっくりとそこで時間を過ごすためにやってきている感じです。できるだけ、留学生たちも連れていくのですが、必ず気に入ってくれるマーケットです。


なぜ、僕たち夫婦がマーケットが好きかというと、地消地産ということで、環境への負荷が少ないということと、新鮮でオーガニックなものが手に入るということに加えて、小さなお店で頑張っている人たちを見に行ったり、お話をしたりするのが楽しいからです。東京の高級スーパーマーケットでは味わえない、素敵な時間を過ごすことができます。せっかく自分の大切なお金を使うのだったら、応援したくなる人たちに使いたいですよね。


このWittaのマーケットでは、応援したい店がいくつもあって、パン屋さんとか、かつてうちの会社のお客様で永住権を獲得した方がやっている指圧のお店だったり、日本人がやっているお味噌屋さんだったり、日本人が少ないサンシャインコーストで頑張ってる日本人の方達にも会うことができます。もちろん、オーストラリアの田舎の人々たちの作ったジャムやレリッシュなども最高です。



でも、一番応援したくなったのは、この子たち。ニワトリを1ドルで抱かせてくれるビジネスをしていました。サインも手作りで可愛いし、でもちゃんとルールも書いてあって、しっかりと経営?されています。僕の奥さんが1ドル払って体験していました。1ドルで、絶対に幸せな時間を得られるというのは、かなり高い投資対効果が約束されているビジネスですよね。子どもたち、将来が楽しみです。


土に還る雑誌

僕たちはスーパーマーケットで買うのは牛乳や豆腐など限られたものなので、あまり行かないのですが、それでも週に一度くらいは近くのIGAというスーパーマーケットに散歩がてら出かけます。歩いて行けるし、地元の会社の商品(コーヒーとかジャムとか)が並んでいるコーナーとかもあって、なぜか親しみが湧く、コンビニみたいなお店です。


そこでふと見つけたのが、こんなフリーペーパー。僕が住んでいるサンシャインコーストの情報が掲載されています。基本的には、サンシャインコーストのビジネスを紹介する記事広告的な内容ですが、ちゃんと編集されているので、読みやすかったです。そして、それに加えてその雑誌のコンセプトがなかなか面白かったので、紹介します。


まずは、この雑誌は土に還る紙に印刷されています。読み終わったら、友達にあげるか、リサイクルするか、ミミズにあげてねと書いてあります。環境に負荷をかけないという意味では、コストやエネルギーを追加してリサイクルするより、自分の庭にそのまま捨ててミミズが食べて土が豊かになるというのは、いいですよね。


そして、この雑誌のさらに面白い挑戦は、雑誌のWEBサイトもSNSもデジタル版も作っていないということです。つまり20年前に戻って、デジタルな世界に繋がっていない時間を意識的に作って、お茶でも入れて、この雑誌を読んでね。というメッセージなのです。SNSに疲れている人たちが増えている今だからこそ、説得力も出てきます。

サンシャインコーストであれば、そんなメッセージも多くの人たちが受け入れてくれると思います。たった1万部発行の紙媒体。でも既に11号になっていました。サンシャインコーストの人々の、ゆっくりとした時間に貢献しているんですね。ビーチでの昼寝前にちょっと読みたくなる雑誌でした。

60歳のとき

60歳になりました。


中学校1年生か2年生の時に、エルトン・ジョンのYour Songを聴くためにアルバムを買ったら、「60歳のとき」(Sixty Years On)という悲しい感じの歌が入っていました。「60歳の時に、僕のことを誰が教会に連れていってくれるのだろうか、、、、60歳まで生きたいとは思わない。。」みたいな歌詞で、人生の中で初めて60歳を意識した経験でした。そして、僕も60歳までは生きていないんじゃないかなと、13歳か14歳の時には真面目に思っていたのです。

そんなことを考えていた僕の人生もあっという間に過ぎていき、60歳になってしまいました。素敵な家族に恵まれ、いまだに健康で毎日テニスをして、仕事も順調で、かなり幸せな60歳なんだと思います。

でも、友人の何人かは、もうすでにこの世にはいないし、そんな無常を考えると、別に今の幸せを維持していくことを目指して生きていてもつまらないと思うのです。つまらないというか、うまくいかなくなることが増えていって、辛くなっていくと思うのです。最近、60代の方の自殺が多いのは、そんな過去へのこだわりが理由なのかもしれません。

ですから、還暦ということで、また赤ちゃんに戻って赤い服を着なくちゃいけないなら、ゼロに戻って、新しい実験を始めたいと思います。さらにミニマルな生活を確立して、また旅を始めるつもりです。昨年、1年間のオーストラリア一周の旅を終わった時には、5年後くらいにまた旅の生活に戻りたいとか言っていたのですが、1年で路上生活に逆戻りです。


幸いにも、オーストラリアの国境が開き、多くの留学生たちが戻ってきているので、きっとさまざまな場所でお客様たちに会えるでしょう。出来るだけ多くの留学生たちと、街のカフェや、森の中を歩きながら、そしてビーチを眺めながら、あるいはテニスをしながら話をして、旅を続けていくのが、僕の60代の過ごし方になっていくのだと思います。