勝ったり負けたり

テニスをやったら、調子のいい日も悪い日もあって、勝ったり負けたりします。負けると少し落ち込みますが、また次の日には、練習をしてもっと強くなることを考えます。

留学カウンセリングをやったら、ときどき、お客様から連絡が来なくなって、他の会社さんで申し込みをしたことが分かったりします。そんな時は、少し落ち込みますが、もっといい提案ができるように、知識を増やしていきます。


そんなふうに、世の中や人生は勝ったり負けたりの繰り返しです。だからこそ、人間的にも成長するし、人格も磨かれるし、人間の幅も広がっていくのでしょう。

でも、世の中には、負けることを絶対に受け入れない人が、稀に存在します。そんな人の中で、ずる賢い人がやることは、自分が絶対に負けない仕組みやルールを作ることです。社会はそういう人を権力者と呼びます。

民主主義とは、どのようなルールを作って権力者を選ぶかではなく、権力者を作らないためにはどのようなルールを作るべきかを考えることなんだということを、子どもたちにはきちんと教えていかないといけないのだと思います。

やり切っていくこと

今週のオーストラリアのニュースで長い時間が割かれていたのが、世界ランク1位の女子テニス選手、アッシュ・バーティーが25歳で引退をするというものでした。今年の1月に開催されたオーストラリアオープンでは1セットも落とさずに優勝して、これから数年はバーティーは圧倒的に強いのだろうなと思っていた中での引退は、人々を驚かしています。お金のことを考えても、賞金だけでもこれから数年間で10億円とか20億円くらいは稼げるはずなのに、なんで今やめちゃうの?というのが多くの人たちが最初に思うことでした。

しかし、彼女にとってみれば、テニスでは目標にしていたことは達成できたので、アスリートとしてではなく人間としてやりたいことに取り組んでいきたいということでした。そんな潔さに、オーストラリア人たちの好感度はさらに高まって、国民みんなが彼女を応援している感じです。


日々は、基本的にやりたいこととやらなくてはいけないことで成り立っています。考えてほしいことは、やりたいことに何を選ぶかとか、やらなくてはいけないことに何を選ぶか、に時間を使うのではなく、目の前にあることをやり切っていくことなんだと思います。大学生なら、卒業するまで勉強をひたすらすればいいし、社会人になったらその仕事をやり切ればいいし、子どもができたら自立するまでサポートするのです。ひとつひとつやり切って、また次のことを頑張っていくことが充実した毎日を過ごす方法だと思います。

そして、やり切ったかどうかは、自分自身が決めることなので、他の人の意見とか目を気にする必要はありません。1年でもやり切ったと思えば、次に行けばいい。中途半端な状態でフラストレーションやストレスをためながら生きていくのは、たった一度の人生の時間がもったいないです。

僕も、経営者という仕事においてのやり切った感がそろそろ出てきました。これから数年で、さらに会社を強くして、かつ経営を次世代の人たちに引き継いでいって、僕は残り少ない人生でやりたい新しいことに(もう決めてあります)挑戦していきたいと思います。

朝のカフェで

平日の朝、始業前の時間は、ほとんど毎日テニスをしているので、カフェに行くことはないのですが、金曜日はテニスの予定を入れることが少ないので、家でコーヒーをいれる代わりに、ちょっとカフェに行きたくなります。今日は、豆も買いたかったので、旅をする前によく行っていたロースタリー(焙煎するところ)に2年ぶりに寄ってみました。

そこはコーヒーを飲むこともできるのですが、カウンターやテーブルは少なくて、ほとんどの人たちはテイクアウェイで自分の好きなコーヒーを買っていきます。僕たちは、アジア系の顔をしたバリスタの人とちょっと話をして、買うべき豆を決めて、店内で飲むコーヒーとクッキーをひとつ注文して、出来上がるのを待っていました。


バリスタの人がコーヒーを持ってきてくれた時に、「どこから来たの?」と聞かれたので、元々は日本からだよと答えたら、やっぱりということで、その方も日本人でした。オーストラリアに10年以上住んでいるということで、英語力も雰囲気もこちらで育ったアジアの人みたいでした。サンシャインコーストの僕が住んでいるエリアは本当にローカルの人しかいないので、日本人に会うのは珍しいのですが(特に男性に)ひとときの日本語での会話を楽しみました。このロースタリーで働き出したのはこの1年くらいだそうで、焙煎もやっているので、フルタイムで働きながら、他の時間は映像の仕事もされているそうです。

思いがけないところで、頑張っている日本人に会うのは、うれしくなったり、心が和らいだりします。愛国心があるからとか、そういうことではなく、やはり同じ土地や文化で過ごしたことがある人には、何かのつながりを感じるのでしょう。

今、国とは何か?民族とは何か?国籍とは何か?のような問題を考えている人たちが世界中にたくさんいると思います。僕やそのバリスタの彼のように外国に暮らす人たちにとって、母国がちゃんとしている、母国がリスペクトされているということが、いかに大切なことであるかを、国を動かす人たちは考えるべきなんでしょうね。

フットワークは軽く

2月に入ってから、サンシャインコーストなんて素敵な名前なのに、今年の夏は雨が続いています。特にここ数日の豪雨のおかげで、洪水が起きている地域もあるようです。連日、ニュースでは水浸しになった町や家の様子を放送しています。コロナウイルスの感染拡大を逃れて、ニューサウスウエールズ州やビクトリア州からこの地域に引っ越してきた人たちも多いのですが、こんなはずではなかったと考えている人たちもいるのかもしれません。


そして、ヨーロッパでは21世紀なのにもかかわらず、普通の人たちからすれば全く合理的な理由のない戦争が始まっています。何十万ものウクライナの人々が、安全を求めて移動をしています。もう何週間も前から、戦争の可能性は伝えられてきたのに、実際に始まらないと動かなかったというのは、多くの人々からすれば、まさかそんなことは起こらないと思っていたからでしょう。

しかし、世の中は、全く合理的ではないし、常識では考えられない人もいっぱいいるし、危機はしょっちゅう、こちらの都合など関係なくやって来ます。それに対して、どうやって翻弄されずに生きていくかは、フットワークを軽くして、いつでも逃げたり、方向転換できたりする能力やスキルを身につけておくことなのかもしれません。

大切なものだけを持ち、大切な人とだけ付き合い、1年くらいは生きていけるお金を持って、旅のような人生を送っていくことも、これからの選択肢の一つになっていくのでしょう。若い時に留学をするのは、そんな人生を送るためのスキルも養ってくれると思います。

アンテナは磨ける

僕の生活って、仕事とテニスで成り立っていて、仕事をしていない時はほぼテニスのことを考えている感じです。今年のクイーンズランド州のシニアの試合は今月後半から始まるので、今はシーズン前のトレーニング期間という感じです。昨年末にラケットを新調したので、そのラケットにあったというか、自分にあったストリング(ラケットに張るやつですね)選びに悩んでいるところです。


以前は縦にナイロン、横にポリエステルのストリングを張っていて、それはそれで良かったのですが、ナイロンは切れやすいので、ほぼ毎日テニスをする今の生活だと、1週間くらいで切れてしまい、けっこうお金がかかります。せめて3週間くらい切れない、かつ感触の良いポリエステルのストリングを探し求めてこの2ヶ月くらい試行錯誤を続けてきました。友だちにもらったり、サイトで調べて評価の高いストリングを試してみたり、いろいろ実験をしてみました。

その過程で、面白かったのは、同じ強さで張っているのに、ストリングによって全然違う感触だし、自分が好きかどうかは、ネット上の人々の評価とはあまり関係ないということです。テニス選手にとってストリングというのは、唯一ボールと接触をするものなので、よく飛ぶのかとか柔らかくて手に優しいなどのことも大切ですが、それ以上に打ったボールの情報をちゃんと伝えてくれるかどうかが大切だということが、上達してきて初めて分かりました。打った瞬間に、僕の手のひらを通じて脳や筋肉に多くの情報をくれるストリングと情報がぼやけてしまうストリングがあるのだということがこの2ヶ月の実験の成果です。

僕たちの毎日の生活は、常に何かの情報を受け取って、それに対応していくことの連続です。食べ物だって、人間関係だって、仕事だって、健康だって、そのアンテナを常に駆使しています。そして、そのアンテナは今よりももっと磨けるのかもしれません。ネットの情報は、誰かのアンテナの話であって、自分のアンテナで情報を得ていく練習をもっとしないと、自分らしい楽しみは得られないのかもしれませんね。

健康な人々という資源

オーストラリアでは、先月のクリスマスを前に人々の移動の規制が緩和されたので、すごい勢いでコロナウイルスの感染が広がっています。国民の90%以上はワクチンを接種したので、重症化になる人たちの確率は低いということで、政府はそのような決断をしたのですが、思った以上の影響が出ているようです。


多くの人たちが感染したり、濃厚接触者になったおかげで、決められた期間働くことができず、さまざまなところで人手不足になっています。農場、食肉工場、運送業、小売業などなど、人手不足のおかげで経済のシステムがまわらず、スーパーマーケットなどでは、品不足になっています。この写真は、僕が住んでいるサンシャインコーストで撮影したヨーグルト売り場のものですが、大都会はもっと深刻なのかもしれません。

こういう現実を見ると、健康な人々というのは、社会を回していく上で、とても大切な資源というか歯車なんだと実感します。ですから、社会として住民の健康を維持するのは、それぞれの人々にとってだけでなく、経済にとっても大きな影響を与えるのだということが分かります。

でも、多くの人々を巻き込んだ大きなシステムを維持することよりも、もっと小さな社会というか経済圏で世の中が回るようにしておくことも、先が見えない世界ではさらに大切になってくると思います。スーパーマーケットが機能しなくても、週に1回のファーマーズマーケットには十分な食べ物が準備されているし、生活に必要なものが少なければ、社会の機能が少しストップしても耐えることが可能です。若者たちにとっては、どちらの経済圏を軸に自分の生活を作っていくかも考えてみるべきです。

世の中の全ての人が自給自足とかオフグリッドで生きていくことはたぶん不可能ですが、今回のコロナ禍でのさまざまな経験は、小さなコミュニティーで助け合える仕組みを構築する必要があることを考え始めるいい機会になったのではないでしょうか。僕たちは、まずは明日のファーマーズマーケットで野菜を買いたいと思います。

写真にストーリー

先日、TAXリターン(確定申告みたいなことです)をやったら、少し税金が返ってきたので、4年間使ったiPhone7plusからiPhone13miniに買い替えました。サイズを小さくしたのは、iphoneを眺める時間を意識的に減らすための、ささやかな工夫です。もう、SNSからは離れて、世の中との接点はブログだけにしようかとも悩み始めています。


そして、この週末にデータの移行をするために、保存していた写真を整理してみようと眺め出したら、この4年前の風景ってなんのために撮ったんだろう?みたいな写真が多いことに気づきました。撮影場所はiPhoneに保存されているので、どこで撮ったのかは分かるのですが、なんとなく綺麗だなあと思って撮影した写真は、数年後の僕には何も訴えてこないのです。それに比べて、人と一緒に撮った写真は(ほとんどの場合は奥さんとですが)、あの時はこうだったよねとかこんなことを話してたよねみたいなストーリーが蘇ってくるのです。

写真を撮る時って、何かしらの驚きや、このシーンを残しておきたいという思いがあるはずです。その思いをちゃんと残しておく、あるいは、一人で旅をしていたとしたら、もう一人の自分との会話をちゃんと残しておくことが写真を撮る行為に意味を与えてくれます。今の時代、そんなことをいちいち考えている必要はないと思う人も多いかもしれません。でも、新しいiphoneの中が、数年後に見返してもなんの感動もない写真にあふれないように生きていくのが、残り時間の少なくなっていく僕にとっては大切なことなのだと反省して、来週からは素敵なストーリー付きの写真を撮っていきたいと思います。

2050年に向けての今日の消費

オーストラリアでは2050年のカーボンニュートラルの宣言をするかどうかで政治家たちは揉めていますが、オーストラリアのように資源や畜産などが経済を支える大きな柱になっていると、産業界からは大きなプレッシャーがかかっているのでしょう。

そして、日本の経産省のサイトなどを見ると、カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略などのページがあったりして、どうしても国や産業界は環境保護と経済成長を両立させたいのですね。でも、今回のコロナウイルスのロックダウンの大都市では大気がきれいになったり、エネルギーの消費が減ったりしたことを見れば、人が減ったり動かなくなると環境には良い影響を与えることが分かります。

ということは、世の中の全ての人々が、少し動くのを止めたり、夜は早く寝て電気を消したり、食べる量を減らすだけでも、随分と環境は良くなり、国に頼ることも少し減るかもしれません。だいたい、僕たちの子どもたちや孫たちやさらにその先の世代のために(もちろん、動物たちも)環境をよくしていこうという話なはずなので、人任せ、国任せにしてしまうのは責任から逃げていることになります。


僕と奥さんは、かなりのガソリンを使って、オーストラリアを一周してきたので、罪滅ぼしの意味もこめて、いつも買い物ではフードマイルが少ない(短い?)ものを買うようにしていました。つまり地元で取れた野菜や果物をマーケットで買ったり、地元の海で獲れた魚を料理していました。最近は、朝の時間に欠かせないコーヒーもオーストラリアのバイロンベイ近郊で栽培されている豆を発見して、飲み始めました。あまり期待していなかったのですが、クセがなくて美味しいです。オーストラリアでコーヒー栽培なんて想像したことなかったけど、頑張っている人たちはいるんですね。

僕は、2050年には生きてはいないと思うけど、その年が地球にとって良い年であることを願って、これからもちゃんと気を使って今日の消費をしていきたいと思います。

これって、理想的な老後?

Bowenというクイーンズランド州の海沿いの街に滞在しています。クイーンズランド州の人にはマンゴーの産地として有名で、我が家では11月から年末にかけてはBowen Mangoが夏のデザートです。(年が明けると、なぜか飽きちゃうんだけど)


この街に来たのはもちろん初めてなのですが、冬は落ち着いた観光地という感じです。ほぼ毎日のように、ランチの時間は宿からすぐのビーチに行って、ちょっと泳いでグレートバリアリーフの端っこのサンゴとそこで泳ぐ小さな魚たちに挨拶するという日課でした。


ビーチには、寒さを逃れてやってきたお年寄りたちを多く見かけました。毎日同じようなメンバーのお年寄りのご夫婦たちが(といっても僕といくつも違わない感じですが。)のんびり、日光浴をして本や雑誌を読んでいました。スマホのない時代に戻った感じで、懐かしかったです。


でも、そんな幸せそうな姿を見ながら、ふと、これって、僕が老後にやりたいことなのかな?という疑問も湧きました。

一生懸命働いて、引退して、子どもたちも巣立って、心配事も少なくなって、でも残り時間も見えてきた時に、のんびりとビーチで読みたかった本でも読もう!って思うのでしょうか?今は、良くわかりません。わからないということは、きっと違うのだと思います。

たぶん、僕の場合、旅をしたり、若者たちと話したりすることなど、やりたいことをやり続けているうちに、だんだん衰えたり、病気になって、それが出来なくなって人生が終わっていくのでしょう。だから、若い人たちにアドバイスがあるとしたら、やりたいことは、準備ができるまで待ってないで、今日から始めた方がいいのです。もし、やりたいことがない人は、やりたくないことはやらないで生きていけばいいのです。

理想的な老後も平均的な老後もマスコミや社会が作った幻想のひとつです。そんなもののために、若いうちに何かをセーブしないでくださいね。同じ人間なら19歳でも29歳でも59歳でも、性格や考え方はほとんど変わりません。19歳の時に、我慢して生きていると、59歳でも79歳になった時のことを心配するようになっちゃいますよ。

今年は準備期間

今週、59歳になりました。とうとう来年は還暦ということで、それ以降はもらいもんの人生なので、ひたすら信念を貫いて生きていきたいと思います。おかげさまで、仕事においては、業界は危機的な状況ですが、僕の会社はあと2年くらい国境が開かなくても生きていけるだけの体力はあるし、プライベートでは娘たちは自立して全く手がかからない状況だし、僕は相変わらず健康で奥さんと車に乗って旅を続けていられて、あまり不安になったり心配することがありません。


この幸運に感謝しながら、この1年は60歳以降に向けての準備をしようと思っています。仕事では、オーストラリアの国境が開くのが来年の今頃として、それまでは、サポートをしている留学生たちに出来るだけ多く会って、話をしていきたいと思います。若者たちと話していて、いつも気になるのは、日本社会ではこうでなくてはいけないという常識?に洗脳とはいかないまでも、大きな影響を受けていることです。もっとこんな風に考えてみたらどうかな?ということを60歳目前のおじさんが言うのもどうかと思うけど、そのくらい窮屈な考え方を若者たちにさせている社会をなんとかしなくちゃと思います。

プライベートでは、あと半年くらいはこの旅の生活を続けて、自然や社会を見る目を養うことと、ミニマリスト的な生活をさらに極めていきたいと思っています。もう8ヶ月も車に荷物を積んで旅をしているわけですが、それでも、一度もあるいはほとんど使っていないものも荷物の中に入っています。必要でかつ愛着のあるものだけと共に生きていくために、修行の日々は続きます。

そして、テニス。シニアのテニスは5歳刻みでカテゴリーが分かれていて、来年は60歳から64歳までのカテゴリーの一番若い!年齢なので、チャンスなのです。旅の途中で立ち寄る街のテニスクラブを訪ねて、プライベートレッスンなどを受けてきましたが、技術的にはまだまだ上手くなっているし、ショットにおける選択ミスがとても少なくなったことを実感しています。60代ではいつか、オーストラリアのトップ10に入れるように、トレーニングを続けたいと思います。

なんか、面白みのない話題しか並んでいませんが、高級な食べ物とかお酒とか豪華な生活みたいなものに、本当に興味がないので、きっと体が動かなくなるまで、超質素でストイックな生活が続いていくのだと思います。それでも良ければ、ランチ行きましょうと声をかけてくださいね。