目的と準備

僕たちの会社は、年間1500人くらいの留学生のお手伝いをしていますが、(さすがに今年は3分の1くらいになるでしょうが。。)お問い合わせいただく方はその3倍くらいいらっしゃるので、4000人とか5000人の方からの問い合わせ内容を、僕は見て、各担当に振り分けています。

そんな毎日を続けていると、問い合わせを読んだだけで、この人は留学で成功する人かどうかというのがなんとなく分かります。あるいは、問い合わせはしたけど、留学には来ないんだろうなあという人も分かります。今日は、そんな話をしたいと思います。


成功する人とそうでない人の最初の違いは、留学の目的を明確に持っているかどうかです。

この学問を世界中の人たちと学びたい、この資格を取得したい、ビジネスで使える英語力をつけたい、オーストラリアの会社で働いてみたい、などの目的や方向性がしっかりとしている人には、具体的な回答もできるし、その後のやりとりも目標に向かってシンプルに進みます。最近の高校生たちからの問い合わせは、このような目的がしっかりしたものが増えているので、僕は日本の将来が少し楽しみです。(でも、そもそも、海外の大学に進学しようと考える高校生は優秀なんだと思いますが。)

もうひとつの違いは、英語の準備をしているかどうか。

私たちの会社への問い合わせフォームには、現在の英語力のレベルを任意で記入してもらう場所があるのですが、そこに何も記入していない人は、留学に来ない可能性が高いのかなと判断しています。日本人は今でも謙虚な人が多いので、自分の英語レベルを低く申告する人も多いのですが、それでも留学を考える前に、英語力について自己評価を持っているかって、準備をしているかのバロメータになるのです。

目的と準備、留学じゃなくても、人生に成功したり、幸せになるには、大切なことだと思いますが、今のこの不安定な時期だからこそ、じっくりと考えることが、これからの人生を安定させるために必要だと思います。安定した人生を望む人がこれからはさらに増えると思いますが、それって、公務員になることではなく、ちゃんと考えて準備できる人になることだと思いますよ。

糾弾する権利

僕が住んでいるオーストラリアのクイーンズランド州は、コロナウイルスの感染をほぼ封じ込め、新規感染者数ゼロが何日も続いていたのですが、19歳の女性の3人組がホットスポットのメルボルンに旅行してパーティーして、クイーンズランド州に帰ってきたときに、訪れた場所の嘘の申告をして自己隔離を免れていたら、1週間後に発症して、大問題になっています。


その女性たちがクイーンズランド州に戻ってきてからの1週間にどこのレストランに行ったかなどの、全ての情報が公開され、それに関連しそうな人たちは感染していないかのテストを受けるように指示されて、多くの市民がいきなり不安な状況に陥っています。

その嘘の申告をした女性たちは、顔も名前も公開され、犯罪者として警察の取り調べを受けているわけですが、当然ながら、その人たちのSNSは炎上して誹謗中傷が絶えないようです。

そんな状況で、朝、テニスにいく途中の地元のFMを聞いていたら、パーソナリティーの女性が

「あの女性たちは、本当にばかで、間違った意思決定をして、嘘をついて、最悪で、これから裁判で罪や罰金などが科されるけれども、それを個人的に中傷する権利は皆さんにはない。それは絶対にやるべきではない。」

と力説していました。

そう、SNSで個人的な中傷や悪意のあるコメントをするのは人道的にも良くないからやめましょうという議論がありますが、そもそも、多くの人たちにとって、そんなことをする権利が無いという言葉に妙に納得をしました。権利が無いからやってはいけない。権利って、認められることばかり議論されてきましたが、認めてはいけないことも大切なのではないかと、朝のドライブをしながら考えていました。

正しい平常に戻るということ

コロナウイルスの影響で、オーストラリアのカフェがテイクアウト(こちらではTake away)のみの営業になったときに、Keepcupなどのマイカップの使用も禁止され、使い捨ての紙カップのみとなっていました。環境問題を考え、留学生全員にKeepcupのプレゼントをしていた僕たちにとっては、とても複雑な気持ちでしたが、地元のカフェも応援したいので、紙カップでも時々買いに行っていました。


そして、ほとんど感染者がいなくなった僕の住んでいる地域では、先週くらいからKeepcupなどのマイカップの持ち込みが可能になりました。そんな小さなことでも、正しい生活に戻っていくことに、僕は喜びを感じます。なぜなら、それって少し正しい社会に軌道修正された気がするからです。

現在のように、社会が非常時には、環境に悪いことは分かっていても、清潔であるからと言う理由で、使い捨てパッケージや容器が無尽蔵に使われたり、人々がそれに疑問を感じなくなります。それって、「良い社会」という基準からすると、後退であり、時間が経てば経つほど、その非常時が平常になっていく危険性をはらんでいます。

ですから、僕たちは、何があるべき姿なのかということに敏感になっていないと、非常時なんだからという論理に、つい惑わされてしまいます。留学業界でも、今は特別だからという理由で、キャンセルや返金の規定をいきなり変更してくる学校やエージェントが今後出てくると思います。僕たちは、そんな人たちを警戒しながら、常に正しい対応を続けていきたいと思っています。

日本からでも大学見学

毎年、日本の夏休みの時期、こちらは冬の時期に、オーストラリアの各大学のオープンキャンパスが開催されます。オーストラリアの高校3年生たち(こちらではYear 12と言います。)が友だち同士、あるいは親御さん連れで、オープンキャンパス(こちらではOpen Dayと呼ばれています)に参加して、志望校を決めて、各州の統一テストで目標のスコアを取るためにラストスパートを始める時期なのです。


ちょうど、7月8月は日本は夏休みの時期ということもあり、毎年何人かの高校生たちがオーストラリアの大学見学を兼ねてオープンキャンパスに参加していたのですが、今年はそういうわけにはいきません。なんでもオンラインに変わっていく世の中ですから、オープンキャンパスもオンラインで開催する大学がほとんどです。


僕が住んでいるサンシャインコースト大学も、この日曜日にオンラインオープンデーを開催します。日本の高校生や大学生の皆さんは、オーストラリアに行かなくても、オーストラリアの大学のキャンパスの様子や授業の様子を体験することができるので、ぜひ、気軽に覗いてみてください。もしかしたら、このちょっとした興味が、みなさんの人生を変えることになるかもしれません。

登録はこちらから。そして、サンシャインコーストと日本には1時間の時差があるので(日本が1時間遅い)、オンラインレクチャーなどの開始時刻は気をつけてくださいね。

他の大学のオープンデー情報はこちらのページで随時更新しています。

街づくりを学ぶなら

先日、ニュースを見ていたら、コロナウイルスの自粛により、自宅から仕事をしている若者たちが住みたい場所として、今までの大都市ではなく、ゴールドコースト、ニューカッスル、サンシャインコーストなどの地方の街が人気が出てきたという話をやっていました。それらの街は、近くの大都市(ブリスベンやシドニー)まで、1時間から2時間圏内なので、地方というほど遠くはありません。


僕はサンシャインコーストに住んで、6年になりますが、この後、旅にしばらく出かけたとしても、ここに戻ってくると思います。(もしかしたら娘たちが住んでいるパースに住む可能性もありますが。)豊かな自然、信頼できるファーマーズマーケット、素朴なカフェやレストラン、すぐに予約できるテニスコートと友だち。緑をメンテナンスする人たち、そして、年間300日の晴れの日。かつては、引退した人たちが住む年寄りの街だったのが、引退するまで待てない若い世代たちが、リモートワークという新しいワークスタイルとともに、増えてきているのです。考えてみれば、まさに僕もその一人です。

これから、日本の若者たちの中でも、このようなライフスタイルをしていきたい人たちが少しずつでも増えていくと思います。残念ながら、そのような人たちが満足できるような街が多くはないのでしょうが、房総や軽井沢や那須などは可能性があるのかもしれません。でも、無ければ作っていけばいいのだから、とても面白い分野だと思います。


今まで、街の開発や地方の開発というのは、どんなに素敵なコンセプトを考えたとしても、現実的にはミニ東京っぽい、お洒落な消費活動が実現できることが目的になってしまっていた感じがします。物質的ではない、生活の豊さを目的とした街づくりを勉強したり体験したりしたい人は、オーストラリアの地方都市にある大学に行くことをお勧めしますよ。大学の勉強だけでなく、それらの街での生活はきっと多くのヒントを与えてくれると思います。

優しい個人主義経営

僕たちの会社には20人のスタッフが働いていますが、階層というものがほとんどありません。対外的には支店長という肩書もありますが、社内では何か特別扱いをされるわけでもなく、みんな同じルールの中で毎月の目標値があり、目標が達成されるとインセンティブがもらえます。


でも、目標に達しなかったからといって、僕が怒ったり、詰問したりすることはありません。そもそも、スタッフの人たちと、最近数字の話をしたこともありません。目標達成したら、「良かったね、お疲れ様」とねぎらい、達成できなかったら、「来月頑張ってね」くらいの会話です。

そんなことでマネジメント出来るのか?と疑問に思われる経営者の方もいるかもしれませんが、僕がマネージしているのは、数字ではなく、正しく仕事をしているかです。正しく仕事をすれば、ちゃんと利益が出てくる仕組みを作ることが経営であり、数字を管理することの優先順位は高くありません。

おかげで、業績は安定してるし、何よりいいのは、クレームが無いことです。正しく仕事をしているので、お客様から疑問があればすぐに答えられるし、無理をしてお客様を説得するようなこともありません。正しく仕事をすることは、時間の無駄も減るし、何よりスタッフの心に良いのだと思います。

僕が目指しているチームというのは、様々なバックグラウンドがある個人がいて、その個人の業績が良い時も悪い時も批判されることなく尊重され続ける組織です。

昭和の時代のような、個人を殺してまで集団のために働くなんてことはあり得ないし、ここ最近の全ては自己責任という理由で強い人が昇進し、弱い人がリストラされていく、厳しい個人主義経営も選択肢にはありません。

これからの時代、リモートで働く人たちが確実に増えていく中で、優しい個人主義のマネジメントについて、しっかりと考え、仕組みを作っていける会社が、安定した成長をしていくのだと僕は考えています。

今年はよくがんばりました

6月30日はオーストラリアの会計年度末なので、会社の業績についてのブログを書いています。今年度は、100年に一度の経験かもしれない混乱の数ヶ月を過ごしましたが、おかげさまで年度末のボーナスも支給できるくらいの利益を出すことが出来そうです。何人かの方には、「ビジネス大丈夫?」と聞かれるのですが、おかげさまで、今年度も安定した業績を残せそうです。


多くの留学会社が、売上がなく危機に瀕している時に、オーストラリアの会社であったことで政府の支援が厚かったこと、そして長期の語学留学と大学などへの進学市場に特化していたことで、キャンセルをされる留学生が少なかったことが、ダメージをほとんど受けなかった大きな理由です。もちろん、頑張ってくれた社員の存在も含めて、本当に幸運だったと思います。

7月の中旬から下旬には、オーストラリア政府から留学生の入国についてのアナウンスがされるということですから、今年中には留学生が渡航可能になることを期待して、準備をしています。これまた幸運なことに、オーストラリアはコロナウイルスの対策がとてもうまくいっていて、僕の住むクイーンズランド州には6月30日時点の感染者は2名だけなので、日々の生活はほぼ平常に戻っています。日本よりも安全な国に留学をすることは、これから大切なポイントなのではないでしょうか。

それでも、これからも世の中は何が起こるかわからないし、人生には様々な困難が待ち受けていることでしょう。だからこそ、若い人たちは世界に出て、違う文化の中で生きる練習や強い生き方の発見をしておくべきだし、僕たちは素敵な若者たちとの出会いを楽しみながら、これからも堅実な経営を続けていきたいと思います。明日からの新年度も、よろしくお願いします。

社会を優しくする方法

コロナウイルスが流行し始めた頃、オーストラリアでは1人の感染者が2人に感染させると社会全体があっという間に感染者だらけになるシミュレーションの映像をよく流していました。社会的な接触を無くすことが、感染者を増やさないための唯一の方法なのだということをアピールするのに、とても有効な方法だったと思います。

これから、経済も人々の心もすさんでしまった社会をどう立て直していくかを考えた時に、この感染シミュレーションを使うことができないのかをふと考えました。ウイルスの替わりに「優しさ」を感染させることが出来ないのか?ということです。


自分の人生で精一杯で良い社会を作る気がなさそうな政治家や役人の方々に頼っていても時間の無駄だし、かと言って、このままだと、なんかネガティブなウイルスが社会全体に蔓延していきそうだけど、僕たちにできることから始めてみるべきだと思うのです。

オーストラリアの、僕が住んでいるちょっと田舎なサンシャインコーストでは、今は出来ないけど、電車やバスで隣に座った人から話しかけられたり、カフェで隣のテーブルに座った人から、日本での旅の思い出を聞かされることがよくあります。ほのぼのとした時間が感染していきます。留学やワーホリにきて、オーストラリアに住みたい人が増えるのは、そんな経験があるからだと思います。

日本でも、みんなが毎日2人の人に優しさを感染させていったら、感染が爆発して、半年後にはもっと生きやすい社会になっているかもしれません。試してみるのにお金はいらないので、友達でも家族でも偶然カフェの隣に座った人にでも、少し優しくしてみましょう。「吉祥寺のカフェで優しさの集団感染!」みたいな記事を目にするのを楽しみにしています。

民度の違い?

家の近くのある道路に、2車線が合流して1車線になるところがあります。そこでは、合流地点のずいぶん手前から、みんなが合流される側を走り、片側だけに長い列ができます。地元の人ではなく、運悪く合流する側をすいてるからという理由で走っている人は、合流地点で、本当に申し訳なさそうに列に入っていきます。でも、「そんなことは気にしなくていいよ、どうぞ、入んな。」という感じで、みんな優しく、合流を許しています。


これは僕が住んでいるのが田舎で、オーストラリアでも都会ではそんなことはないのかもしれませんが、むかーしの日本の道路にもそんな余裕がありました。首都高はいつもすごく混んでたけど、太っ腹のおじさんが、免許取立てでポンコツな車を恐る恐る運転している僕を割り込ませてくれました。

でもバブル期の頃から、なんか攻めたもん勝ちな雰囲気になってきて、お先にどうぞみたいな余裕は失われてきたと思います。

オーストラリアではバスが出発する際に右のウインカーを出したら、後続の車は必ず止まるのに、日本では車の列が切れるまでバスは出発することが出来ません。たぶん、法律上はどちらの国も、バスが優先のはずですが、どうしてでしょうね。

日本の社会の居心地が悪くて、オーストラリアにやってきてオーストラリアの社会のファンになる人が多い理由は、自分だけ良ければいいという人々に対する嫌悪感に疲れた時に、「お先にどうぞ」的な余裕がこの国ではまだ残っているからかもしれません。

日本で欧米ほどコロナウイルス の被害がなかったのは、民度の違いだそうですが(笑)、その日本よりも人口比を考慮しても随分と被害が少ないオーストラリアはさらに民度が高いということですかね。

ふたつの思い

58歳になりました。この年齢になってくると今まで生きてこれてめでたいということもありますが、残りの時間がまた1年減ったみたいな感じの方が強いです。今年は、正月に父親が亡くなり、5月には小学校から高校まで同級生だった友人がコロナウイルスで亡くなったりと、死について考える時間が多かった半年でした。


死を意識すると、残りの人生において、2つの異なった方向の思いが生まれてきます。

ひとつは、モノを出来るだけ減らして身軽になっていかなくてはという思い。死んだ時に、残った人が処分に困らないように、身辺整理というのは元気な今から始めなくちゃいけないと思います。この年齢になると物欲はほとんどなくなってくるので(テニスグッズしか、最近買っていない)これは、どんどんデジタル化などをして、進めていける気がします。コロナウイルスのおかげで延期にした車での旅の生活も11月からはスタートする予定なので、それまでにスーツケース 2つくらいに全ての所有物が収まるようにしたいと思います。

もうひとつは、死んだ時に何か世の中に残しておきたいという思い。多くの成功者たちは、財団を作ったり、ビルを作ったり、銅像を作ったりするわけですが、僕がそれだけのお金を持つことはないでしょうし、そんな世界にはあまり興味はありません。しかし、幸運なことに僕の文章やメッセージは、本を出版することもないのに、このブログのおかげで世の中にしばらく残ります。それって、何かとてもありがたいことだと思うのです。etonobuhiko.comという僕だけの世界を、もっと大切にして、これからも少なくとも毎週1回、できればもっと頻度を上げて更新をしていきたいと思います。ブログを書くことは、ほとんど修行みたいな世界です。でも、この修行のおかげで、人と違った視点を探すことや、少しだけ深く考えることに慣れてきた気がします。そして、それは経営にもとても活きてきます。

自分らしい人生を生きていることを表現したり証明する場を、誰もがネット上に持つことが、良い社会を作るインフラの一つになれば良いなと思っています。