優しい個人主義経営

僕たちの会社には20人のスタッフが働いていますが、階層というものがほとんどありません。対外的には支店長という肩書もありますが、社内では何か特別扱いをされるわけでもなく、みんな同じルールの中で毎月の目標値があり、目標が達成されるとインセンティブがもらえます。


でも、目標に達しなかったからといって、僕が怒ったり、詰問したりすることはありません。そもそも、スタッフの人たちと、最近数字の話をしたこともありません。目標達成したら、「良かったね、お疲れ様」とねぎらい、達成できなかったら、「来月頑張ってね」くらいの会話です。

そんなことでマネジメント出来るのか?と疑問に思われる経営者の方もいるかもしれませんが、僕がマネージしているのは、数字ではなく、正しく仕事をしているかです。正しく仕事をすれば、ちゃんと利益が出てくる仕組みを作ることが経営であり、数字を管理することの優先順位は高くありません。

おかげで、業績は安定してるし、何よりいいのは、クレームが無いことです。正しく仕事をしているので、お客様から疑問があればすぐに答えられるし、無理をしてお客様を説得するようなこともありません。正しく仕事をすることは、時間の無駄も減るし、何よりスタッフの心に良いのだと思います。

僕が目指しているチームというのは、様々なバックグラウンドがある個人がいて、その個人の業績が良い時も悪い時も批判されることなく尊重され続ける組織です。

昭和の時代のような、個人を殺してまで集団のために働くなんてことはあり得ないし、ここ最近の全ては自己責任という理由で強い人が昇進し、弱い人がリストラされていく、厳しい個人主義経営も選択肢にはありません。

これからの時代、リモートで働く人たちが確実に増えていく中で、優しい個人主義のマネジメントについて、しっかりと考え、仕組みを作っていける会社が、安定した成長をしていくのだと僕は考えています。

今年はよくがんばりました

6月30日はオーストラリアの会計年度末なので、会社の業績についてのブログを書いています。今年度は、100年に一度の経験かもしれない混乱の数ヶ月を過ごしましたが、おかげさまで年度末のボーナスも支給できるくらいの利益を出すことが出来そうです。何人かの方には、「ビジネス大丈夫?」と聞かれるのですが、おかげさまで、今年度も安定した業績を残せそうです。


多くの留学会社が、売上がなく危機に瀕している時に、オーストラリアの会社であったことで政府の支援が厚かったこと、そして長期の語学留学と大学などへの進学市場に特化していたことで、キャンセルをされる留学生が少なかったことが、ダメージをほとんど受けなかった大きな理由です。もちろん、頑張ってくれた社員の存在も含めて、本当に幸運だったと思います。

7月の中旬から下旬には、オーストラリア政府から留学生の入国についてのアナウンスがされるということですから、今年中には留学生が渡航可能になることを期待して、準備をしています。これまた幸運なことに、オーストラリアはコロナウイルスの対策がとてもうまくいっていて、僕の住むクイーンズランド州には6月30日時点の感染者は2名だけなので、日々の生活はほぼ平常に戻っています。日本よりも安全な国に留学をすることは、これから大切なポイントなのではないでしょうか。

それでも、これからも世の中は何が起こるかわからないし、人生には様々な困難が待ち受けていることでしょう。だからこそ、若い人たちは世界に出て、違う文化の中で生きる練習や強い生き方の発見をしておくべきだし、僕たちは素敵な若者たちとの出会いを楽しみながら、これからも堅実な経営を続けていきたいと思います。明日からの新年度も、よろしくお願いします。

社会を優しくする方法

コロナウイルスが流行し始めた頃、オーストラリアでは1人の感染者が2人に感染させると社会全体があっという間に感染者だらけになるシミュレーションの映像をよく流していました。社会的な接触を無くすことが、感染者を増やさないための唯一の方法なのだということをアピールするのに、とても有効な方法だったと思います。

これから、経済も人々の心もすさんでしまった社会をどう立て直していくかを考えた時に、この感染シミュレーションを使うことができないのかをふと考えました。ウイルスの替わりに「優しさ」を感染させることが出来ないのか?ということです。


自分の人生で精一杯で良い社会を作る気がなさそうな政治家や役人の方々に頼っていても時間の無駄だし、かと言って、このままだと、なんかネガティブなウイルスが社会全体に蔓延していきそうだけど、僕たちにできることから始めてみるべきだと思うのです。

オーストラリアの、僕が住んでいるちょっと田舎なサンシャインコーストでは、今は出来ないけど、電車やバスで隣に座った人から話しかけられたり、カフェで隣のテーブルに座った人から、日本での旅の思い出を聞かされることがよくあります。ほのぼのとした時間が感染していきます。留学やワーホリにきて、オーストラリアに住みたい人が増えるのは、そんな経験があるからだと思います。

日本でも、みんなが毎日2人の人に優しさを感染させていったら、感染が爆発して、半年後にはもっと生きやすい社会になっているかもしれません。試してみるのにお金はいらないので、友達でも家族でも偶然カフェの隣に座った人にでも、少し優しくしてみましょう。「吉祥寺のカフェで優しさの集団感染!」みたいな記事を目にするのを楽しみにしています。

民度の違い?

家の近くのある道路に、2車線が合流して1車線になるところがあります。そこでは、合流地点のずいぶん手前から、みんなが合流される側を走り、片側だけに長い列ができます。地元の人ではなく、運悪く合流する側をすいてるからという理由で走っている人は、合流地点で、本当に申し訳なさそうに列に入っていきます。でも、「そんなことは気にしなくていいよ、どうぞ、入んな。」という感じで、みんな優しく、合流を許しています。


これは僕が住んでいるのが田舎で、オーストラリアでも都会ではそんなことはないのかもしれませんが、むかーしの日本の道路にもそんな余裕がありました。首都高はいつもすごく混んでたけど、太っ腹のおじさんが、免許取立てでポンコツな車を恐る恐る運転している僕を割り込ませてくれました。

でもバブル期の頃から、なんか攻めたもん勝ちな雰囲気になってきて、お先にどうぞみたいな余裕は失われてきたと思います。

オーストラリアではバスが出発する際に右のウインカーを出したら、後続の車は必ず止まるのに、日本では車の列が切れるまでバスは出発することが出来ません。たぶん、法律上はどちらの国も、バスが優先のはずですが、どうしてでしょうね。

日本の社会の居心地が悪くて、オーストラリアにやってきてオーストラリアの社会のファンになる人が多い理由は、自分だけ良ければいいという人々に対する嫌悪感に疲れた時に、「お先にどうぞ」的な余裕がこの国ではまだ残っているからかもしれません。

日本で欧米ほどコロナウイルス の被害がなかったのは、民度の違いだそうですが(笑)、その日本よりも人口比を考慮しても随分と被害が少ないオーストラリアはさらに民度が高いということですかね。

ふたつの思い

58歳になりました。この年齢になってくると今まで生きてこれてめでたいということもありますが、残りの時間がまた1年減ったみたいな感じの方が強いです。今年は、正月に父親が亡くなり、5月には小学校から高校まで同級生だった友人がコロナウイルスで亡くなったりと、死について考える時間が多かった半年でした。


死を意識すると、残りの人生において、2つの異なった方向の思いが生まれてきます。

ひとつは、モノを出来るだけ減らして身軽になっていかなくてはという思い。死んだ時に、残った人が処分に困らないように、身辺整理というのは元気な今から始めなくちゃいけないと思います。この年齢になると物欲はほとんどなくなってくるので(テニスグッズしか、最近買っていない)これは、どんどんデジタル化などをして、進めていける気がします。コロナウイルスのおかげで延期にした車での旅の生活も11月からはスタートする予定なので、それまでにスーツケース 2つくらいに全ての所有物が収まるようにしたいと思います。

もうひとつは、死んだ時に何か世の中に残しておきたいという思い。多くの成功者たちは、財団を作ったり、ビルを作ったり、銅像を作ったりするわけですが、僕がそれだけのお金を持つことはないでしょうし、そんな世界にはあまり興味はありません。しかし、幸運なことに僕の文章やメッセージは、本を出版することもないのに、このブログのおかげで世の中にしばらく残ります。それって、何かとてもありがたいことだと思うのです。etonobuhiko.comという僕だけの世界を、もっと大切にして、これからも少なくとも毎週1回、できればもっと頻度を上げて更新をしていきたいと思います。ブログを書くことは、ほとんど修行みたいな世界です。でも、この修行のおかげで、人と違った視点を探すことや、少しだけ深く考えることに慣れてきた気がします。そして、それは経営にもとても活きてきます。

自分らしい人生を生きていることを表現したり証明する場を、誰もがネット上に持つことが、良い社会を作るインフラの一つになれば良いなと思っています。

理由を知っても何も生まれない

〇〇ビジネスとか〇〇経済とか昔ながらのビジネス誌のサイトを読むと、「日本がいけてない理由」とか、「〇〇が再生するための条件」みたいなタイトルが並んでいます。懐かしい昭和の時代にいらした、会社のデスクで新聞読んでるおじさんたちには、読まれてるかもしれないけど、今の30代40代も読んでいるとしたら、、、将来はあまり明るくないですね。

なぜなら原因や理由を分析するのは、そんなに難しいことではないし、それを確認しあっているだけなら、世の中は何も変わらないからです。

日本の政治がなぜいけてないのかを、社会科で政治について学んだ小学校6年生に聞いてみても、それなりの分析と答えを出すと思います。大人がやらなくてはいけないことは、その分析に基づいて対策を計画し実行することで、それはリスクや苦労が伴うわけです。ですから、ビジネス誌を読んで評論家になっても、それは小学校6年生と同じレベルです。


これからの時代、ポストコロナの時代は壮大なビジョンを持って10年計画で何かを進めていく時代ではないと思います。10年間何事もなく平和な時代が続くとは誰も思っていないからです。これからは、もっと小さな発明や、小さな改善を積み重ねていくうちに、何か大きなものが生み出されていくのだと思います。

ですから、若者たちはビジネス情報の消費活動なんて放っておいて、何か小さくてもいいので生み出すことに時間を使いましょう。ブログに文章を書いたら100円で買ってくれる人もいるかもしれないし、他のyoutuberとは違ったアプローチで映像を作ることもできるし、アート作品を販売することもできるし、何かセミナーを開発することだって、いいのです。

何も生み出すことができない人は、これからの時代、必ず苦労します。でも、自分に何か生み出す能力があるとは思えないという人も、数多くいると思います。でも、人はそれぞれ他の人とは違った何かを持っていたり、こだわっていたりします。最初はそれについて、発信してみたらどうでしょう。今回のブログを書くきっかけになったのは、60歳になったら「死ぬまで一球入魂」みたいなタイトルのサイトを作って、シニアテニス愛好者たちにメッセージを送るのはどうかなと思ったからでした。この年齢でこんなにテニスにハマっている人は多くはないでしょうが、きっと楽しいコミュニティができる気がします。

消費するにはお金が必要ですが、何かを生み出すにはお金は入りません。この週末から、何かを始めてみるのは、どうでしょう。

出会いがたいせつ

自粛生活を経験してみて感じることは、僕には友だちってそんなに多くないなあ、ということ。ましてや、僕のように田舎に住んでると、日常的に話すのは奥さんとテニス友達の合計5人にも満たない人たちで、あとは会社のメンバーだけという、なんともシンプルな生活です。

それでも、十分に幸せなので、僕にとって、友人の多さと幸せには相関関係は無さそうです。だいたい、不幸やストレスの多くは人間関係によってもたらされ、それも自分で選べない集団の中で起こります。学校のクラスであったり、会社の上司であったり、マンションの隣の人だったりするわけです。


それなら、何かを選択するときに、その集団と自分の相性のようなものについて、想像を巡らすことはとても大切な戦略ではないでしょうか?例えば、語学留学のための学校選びで、真面目な留学生が多い学校と、不真面目な(とはなかなか書けないので、楽しみを優先している)留学生が多い学校と、どちらを選ぶかなどは、よく起こる問題です。うちの営業方針は、ちゃんと説明しても真面目さよりもゆるい学校を望む(そして、そのような学校は値段が安い)お客様に対しては、積極的に営業することもなく、他の留学会社で申し込まれても、あまり気にしません。やはり、できるだけ素敵な友だちができる環境で勉強してほしいからです。

また、大学選びも、頭のいい友人たちから知的な刺激を受けたり議論をしたかったら、クイーンズランド大学などのトップ大学に行けばいいし、素朴で優しい友だちたちと時間を過ごしたければ、地方国立大学みたいな雰囲気のウーロンゴン大学とかサンシャインコースト大学などを選ぶ方がいいと思ってカウンセリングをしています。いい友人たちと出会うと、成績もよくなっていくというのが、経験上見えてきたし、いい成績をとって、自信を持って卒業することは、その若者にとって大きな財産になるのだと思います。

よく、「自分に合った学校を探したい」という問い合わせを受けますが、それって、「自分に合った人々が学ぶ学校を探す」と翻訳してもいいのではないかと思っています。

もうリモートが当たり前

僕が自宅勤務にしましょうと社内に指示を出したのが3月20日なので、すでに2ヶ月が経過しています。この2ヶ月は、オーストラリアは外国人の入国をほぼ禁止していたし、入国者がいないと毎週月曜日に行っている、生活オリエンテーションをすることもないので、オフィスでしなくてはいけない仕事はありませんでした。留学生たちとはSNSや電話で連絡が取れるので、携帯に電話の転送だけしておけば、ほとんど困らなかったというのが印象です。(郵便物が少しだけありましたが)


こんな状況の中で、確実に言えることは、次のオフィスの契約更新の時には、ゼロベースで契約内容を見直すだろうということです。僕たちの会社は、オーストラリアに6つ、東京に1つのオフィスがあります。それぞれのオフィスの存在意義を再定義して、場所とかサイズとかを検討したいと思います。

例えば、これからはオンラインセミナーやオンラインでのカウンセリングの頻度は高まっていくでしょうから、オフィスにはスタジオのような機能が必要になってくるでしょうし、現地にいる留学生との面談は近くのカフェでやった方が、よりリラックスできるかもしれません。もう、固定電話の番号なんていらないのでは?とか見直す内容っていろいろありそうです。現地オフィスのメリットって何かを、再考するいい機会になったと思います。

もしかしたら、若者たちの5年後とか10年後の会話では、「へー、オフィスにいく会社に勤めてるんだ!それってどんな感じ?」みたいな会話が普通になるかもしれません。僕も、こんな時代になる前に、「社長室」みたいなところで、仕事してみたかったです。(生産性はともかく)

もし、リモートでの経営に興味がある方がいたら、「Remote」というBasecampという社内アプリを開発しているアメリカの会社の経営者たちが書いた本がおすすめです。「強いチームはオフィスを捨てる」という名前で翻訳も出ていますが、英語で読める人は英語の方がわかりやすい感じでした。この人たちの書いた「Rework」も中小企業の経営者は必読だと思います。amazonなどで検索してみて下さいね。

第六感で大切なもの

若いうちにはいくつか失敗もすることもあるでしょうが、大人になる過程で、身につけなくてはいけないのが、胡散臭さを嗅ぎ分ける力だと思います。そのためにも、若者は自分の力で旅に出たりして、判断力を養っていく必要があるのだと思います。


昔から、社会に胡散臭い人々はある割合で存在していて、そういう人たちには気をつけておけば遭遇することも被害に遭うこともなかった訳ですが、今では、どこかの国の大統領や、どこかの国の首相は、その国で一番胡散臭い人なのだから、なかなか大変な世の中です。

なぜ、胡散臭さを嗅ぎ分けられなければいけないのかは、人生の歯車が狂っていくきっかけになるからです。自然災害は、残念ながら避けることは難しいですが、胡散臭い会社や人たちに騙されることは避けることができるはずです。おいしい話だなと思ったら、まずは疑ってみることです。あなたには永住権獲得の可能性があると、留学会社に言われたら、その可能性は今まで何パーセントだったのですかと聞いてみることです。

胡散臭い人は、たぶん見れば分かります。話すともっとよく分かります。食事をするとさらによく分かります。留学ビジネスでいえば、そのカウンセラーは会社の売上のためにそのアドバイスをしているのか、あなたのキャリアや人生について最適だと思っているからそのアドバイスをしているのか見極めてください。

世の中が混乱して、荒れてくると、胡散臭さが普通になってしまうかもしれません。そんな時でも、常に自分の直感や判断力を信じて、間違った選択をしないように気をつけてくださいね。

書けるか作れるか

世の中の多くの会社が在宅勤務になり、必然的に働き方改革が行われている会社もあると思います。僕の会社もすでに2ヶ月近くスタッフ全員が家から仕事をしていますが、幾つもの気づきが生まれました。

まずは、勤務時間というものについて。20世紀の工場で従業員を管理するために作られた、労働時間による契約というのは、ほぼ意味のないものになっています。在宅勤務になって、律儀に9時から5時までパソコンの前に座っている人がいたとしたら、僕としてはそんな人はあまり雇いたくない感じです。それよりも、本を読んだり、ベランダや庭でノートに様々なアイデアを書き溜める時間も会社のためなら、それは仕事なんだと僕なら思います。


時間ではない指標で仕事として評価されるべきことは、当たり前のことですが、付加価値を生み出すことで会社に貢献できているかということです。私は言われたことをちゃんとやる業務遂行能力があるので、評価してほしいという人もいるかもしれませんが、残念ながらそんな業務屋さんは10年後には仕事はありません。確実にAIやロボットに替わられています。

ですから留学生やこれから留学を考えている若い人たちに伝えたいことの一つは、クリエイティブなことにチャレンジすることをひたすらやらないといけないということです。もしかしたら、それだけが、今後の予測できない社会で生き残るための重要なスキルになると思うのです。別にアーティストにならなくても、ちゃんとした文章が書けるとか、プログラムが書けるとか、デザインができるとか、商品が作れるとか、ビジネスが作れるとか、自分の得意技を磨いていけるはずです。

何かを生み出すために必要な材料の一つは、今までに経験したことのない世界や、考え方に出会うことです。予定調和を重んじる日本社会にはない刺激を、海外で体験し、ちゃんと考え、何かを作り上げ、発信してみることが大学での勉強と同じくらい大切な留学中のトレーニングになると思います。